トビー・フーパー日記(3)

今更だけど、書いてみるよ。ちゃんと書けるかどうか、自信がないんだけど。


13歳のときだった。
中学生の俺は、小遣いで映画を観るようになった。電車賃がもったいないから、自転車で新宿へ行く。前売り券を劇場窓口で買う。そうすっとオマケがついてくるからね。歌舞伎町の新宿アカデミーって劇場だと、「チラシセット」というのもくれたんだ。すでに公開済みのチラシがどっさり入ってる。劇場としちゃ、ゴミを活用したってことなんだろうけど、俺はもらったチラシを見て、観たことのない映画を想像してわくわくしたりもした。
悪魔のいけにえ2』を観たのも、この劇場だ(正確には、アカデミーかオデヲンかオスカーが不確かなんだけど)。オマケについていたのは、チェーンソーの形をしたペーパーナイフ(というのかな)。いまでも持っている。
で、この映画は俺に、言いようのない衝撃を与えた。何度でも観たい。細部を記憶したい。この映画に関する知識を高めたい。この映画を作った人がどんな人か知りたい。
生まれて初めて、映画監督という職業について、真剣に興味を持った。それまで、映画というのは、脚本が大事だと思ってた(いまでも思ってるよ)。そもそも監督というのが、なにをする人なのかわからなかった。だけど、『悪魔のいけにえ2』について知るほどに、どうやら監督であるトビー・フーパーが凄いのだ、ということを知るに至った。
この時点で、演出についてなんかわかっちゃいない。だから、トビー・フーパーが監督として優れているから好きだ、というわけではなかった。あくまでも、『悪魔のいけにえ2』の秘密がこの人物にあるらしい、だから好き、ということだった。
このことが、映画の見方を豊かにした。単にお話の面白さだけではなく、それをどう語るかによって観客に与える印象が変わるのだ、ということについて考え始めるきっかけになった(う〜ん。ここがうまく言葉にできないな。そういうふうに「演出」をとらえられるようになったのは、成人して何百本も映画を観てからなんだけど)。
悪魔のいけにえ2』こそが、俺を誘惑した。「映画作りには、秘密がある。それを知りたければ、たくさんの映画を観ろ」。
そういう意味で、俺にとって、トビー・フーパーは「映画の父」だ。だけど、もちろん、遠くにいる父だ。ある日、自分に父がいることに気づいたけれど、その人は海の向こうに住んでいた。ただ、その父が、俺に託した(って勝手に言うけど)メッセージは、「映画を観ろ」ってことだから、それを守っていれば、いつか会えると信じるしかなかった。


それから20年。
ずっと映画を観続けている。いろんな映画が好きになった。
無論、トビー・フーパーの新作は、欠かさず劇場へ観に行った。『スポンティニアス・コンバッション』も『マングラー』も大好きな作品だ。WOWOWで『死霊伝説』の完全版が放映されたときは、友だちに録画してもらって正座して観た。『エルム街の悪夢』のテレビシリーズの一本、フレディが誕生したきっかけのエピソードは、本当に悪夢のようだった。『レプティリア』の、船が湖の霧の中に進むカットや、高台にある謎の屋敷のカットに、ゾッとした。『ツールボックスマーダー』の、窓辺の椅子のカットの素晴らしさを友人に熱く語ったりもした。
だけど、トビー・フーパーが日本に来る気配はなかった(一度だけ、「ファンタゾーン」というイベントで、来るという噂が流れたが、来日したのはフランク・ヘネンロッター監督だった)。
ずっと待ち続けた。
そして……。
今年のゆうばりファンタスティック映画祭に、トビー・フーパーがゲストとして来ることになった。
そのことを知ったとき……ドキドキした。来日することと、俺が会えることは、別問題だ。俺が勝手に息子を自認したって、トビー・フーパーにとっては見知らぬ他人だ。気難しい人だったら、声をかけることすらできないかもしれない。
そして、俺も三十路を超えた社会人だ。会えるかどうかわからないのに、わざわざ北海道へ行く、というのがバカバカしいことのようにも思えた。
だけど、これが最初で最後のチャンスかもしれない……。
優柔不断な俺は、結局、なにもしないまま映画祭の開幕をカレンダーで確認するだけだった。


でも最後に俺は、飛行機のチケットをとった。
そうしないと、自分が駄目になる気がしたから。そんなのはただの思い込みだ。俺はバカだ。自分のそういう行動に酔っているだけだ。会えなかったとしても、「会えなかったよ〜」とへらへら笑うに違いない。
でも、やるんだよ。


あとは……結果はすでに報告してるから、空港から会場までのことなんかどうでもいいよな。
会場のロビーでウロウロしていたら、不意にトビー・フーパーが現れた。俺は、頭が真っ白になりながら、「エクスキューズ・ミー」とも言わずに、「ファンです!」と叫び、「13歳のときに、あなたの『悪魔のいけにえ2』と『スペース・インベーダー』に出会ったことで、僕の人生は変わった。あなたの映画が、僕の人生を作ったんです」と拙い英語でまくしたてた。そして、来る途中の電車の中で書いた手書きの手紙を「ラブレターです」と渡した(恥ずかしいね)。トビー・フーパーはびっくりしたような顔をしていたが、すぐに慈父のような微笑を浮かべて「嬉しいよ」と俺を抱きしめてくれた。「そんなに俺の映画が大好きだったら、このあとの上映は、俺と一緒に観ようよ」、トビー・フーパーはそう言って、一般の観客である俺を、関係者席に招待してくれた(ちなみに、トビー・フーパーの隣ではなく、彼の現在の恋人らしいアマンダ・プラマーの横に座らせてもらった。左横には工藤夕貴)。


そして、最後にとどめの奇跡が起きたんだ。


映画の上映が終わると、トビー・フーパーが俺のそばに来て、立ち止まった。ポケットに手を入れ、なにか取り出す。名刺だった。そして、それを、俺に渡す。
!!!!!!!!!!!!!
「次はアメリカで会いましょう」と俺がかすれた声で言うと、トビー・フーパーはニッコリと笑って、俺の手をがっしり握ってくれた。
会場を去ろうとするトビー・フーパーに、俺は慌てて、たったいま観たばかりの新作、『ダンス・オブ・ザ・デッド』のことを伝えようと思った。
第三次世界大戦後の終末的な悪夢を描いたその映画は、これまでの作品にもあった「人間の力ではどうしようもない恐怖」を感じさせるものだった。と、同時に、その恐怖に直面した人間たちの愚かしさや脆さを、端的に描ききっていた(ロバート・イングランドが、自ら行使する暴力に、ふと見せる戸惑いの表情!)。そしてなによりも、ベテラン監督とは思えない瑞々しい映像。
だけど、そんなまだるっこしいこと、言えるわけじゃないし、言うべきことは一言だとわかっていた。
「I love your "dance of the dead"」
トビー・フーパーは、人懐っこい笑顔で、「Thank you」と一言残して、会場を去っていった。


さて。ここから、新しい出発だ。