トラバ返し!

http://d.hatena.ne.jp/Tigerlily/20060508
映画はやくざなり
笠原和夫の「骨法十箇条」を読みたい、という希望なので、一部だけ引用してみるよ。一部だけなのはさ、図書館に行って読んで欲しいから。いや、本屋で買って欲しいから。自分がちょっと書いた言葉が、誰かの欲望を喚起したっていうのは嬉しいね。
さて。
現在、「骨法十箇条」を読もうと思ったら、2冊三冊の本があげられる。
笠原和夫 人とシナリオ
「シナリオを志す人への手紙」というエッセーの中で言及されている(最初に「骨法十箇条」が紹介されたのは、「映画芸術」平成三年冬季号に発表された北野武監督『あの夏、いちばん静かな海。」の批評文の中でだった)。
田村孟 人とシナリオ
こちらでは、「笠原和夫氏の「骨法十箇条」」というタイトルのエッセー。
それから、コメント欄で指摘を受けたので、一冊追加です。
映画はやくざなり


説明を省いて、その「十箇条」を並べてみると……

  1. 「コロガリ
  2. 「カセ」
  3. 「オタカラ」
  4. 「カタキ」
  5. 「サンボウ」
  6. 「ヤブレ」
  7. 「オリン」
  8. 「ヤマ」
  9. 「オチ」
  10. 「オダイモク」

ぱっと耳にして、なんとなく意味がわかるものと、そうでないものがあると思う。「カセ」とか「カタキ」「ヤマ」「オチ」なんて言うのは、無意識に俺らも使っている。
じゃあ、たとえば「オリン」ってなんだろう? 笠原和夫は次のように説明している。

ヴァイオリンの意です。むかし〈母もの映画>というヒット路線の映画が多産されていたころ、母と子の別れの場面にはヴァイオリンを掻き鳴らして涙を誘ったものでした。それで、感動的な場面のことを「オリンをコスる」と言ったものです。

俺、これ初めて読んだとき、「なるほどなぁ」と単純に感心した。シナリオ上で必要とされる「感動的な場面」を表現する業界用語が、具体的な音楽のつけ方からきている。観念ではない、クソ唯物論じゃあないか!
で、これだけでも面白いんだけど、田村孟のエッセーの、次のような記述を読むとまたいっそう面白く感じられる。

恥かしいことだが、ぼくがはじめて目にすることばが三つあった。「オタカラ」「サンボウ」「オリン」である。松竹大船ではこういう項目は話に出たこともなかったし、独立プロで仕事をするようになってからも、とりたてて考えたことはなかった。

補足をすると、笠原和夫東映のホン屋だったんだね。
ここには、「撮影所システム」の中での、「松竹」と「東映」という工場の違いによる生産方法の違いの問題と、もはや「システム」ではない「独立プロ」という現場(極論すれば、個々の作品ごとに方法論が発明されるような現場)の問題の、二つのテーマが浮かび上がってくる。


で、話は再び「KINO」に戻る。
「正しい少年マンガの作り方」というエッセーでは、上記の「骨法十箇条」に対応する「現場の方法論」として、次の七箇条をあげている。

  1. 繰り返せてこそ“技”
  2. 少女漫画家を盗め
  3. 主人公は転校生
  4. 主人公は約束をする
  5. 大きな嘘をつけ! 小さな嘘をつくな!
  6. <つづき>は二通りしかない
  7. 上手いは器用、下手にこそオリジナル

詳しい説明については、是非「KINO」を手にして、読んで欲しい。
俺が、問題にしたいのは、たとえばマンガ全盛期を回顧的に振り返って、失われてしまったある「システム」を検証したいのであれば、このような方法論が、出版社や編集部によって、どのように共有され、そして違っていたのか、それを示さなくては仕方がないだろう、ということだ。
「正しい少年マンガの作り方」の筆者は、小学館の編集者であった人だ。では、講談社は、集英社は……と問題意識を持つのが、「メガヒットの法則」などと銘打つ雑誌の編集者の最低条件なのではないだろうか?
そうした比較が成立したときに、たとえば小学館が生み出したメガヒット作品と、講談社が生み出したメガヒット作品との、差異と同一性が見出され、必ずしもメガヒット作品というのが方法論によってのみ生み出されるわけではない、ということがわかり、そのときに初めて批評家による「メガヒットの法則」という大胆な仮説が生まれるんじゃないのか? 批評するとか、考察するっていうのは、そういうことだと思うよ。


あと、最後になんとなく付け加え。
昨日書いた「熱狂」という言葉についてなんだけど。
俺はこの2年ぐらい、あふりらんぽに熱中している。あふりらんぽのライヴに行くと、血液がサラサラ逆流するほどの興奮が必ず訪れる。あふりらんぽの鳴らす音が、現代日本のロックシーンの中で、どのように位置づけられるのかなんて、俺は知らない。その起源だとか、影響関係だとか、特異性だとか……そんなのどうでもいい。状況なんて知ったことか。目の前の、パフォーマンスがすべてだ。
熱狂ってそういうこと。
で、俺はかつて、毎週「ジャンプ」を本屋で手にしたときに、同じような熱狂を感じていたはずなんだ。