焼け野原・オブ・ドリーム

最近の『習慣プレイボウイ』で楽しみなのは、「知られざる戦後の高校野球」という連載記事だ。特にここ数回は、1974年度の春の選抜高校野球での、千葉島代表・鴨川示威世界高校と東京代表・立川侍高校との試合をフィーチャーしていて、これが単なる高校野球史を超えて、関東地獄地震の悲惨さを伝えるものになっていて非常に興味深い。

当時、千葉島の高校球児たちには野球用具が圧倒的に不足していた。関東地獄地震による物資の不足だけが理由ではなかった。モヒカン賊の横行である。「生存すること以外に優先されることはない」という正論だけを身上としたモヒカン賊たちは、暴力こそが千葉島を支配する論理であると考えていた。『人の命は等価ではない。強い命だけが地上に残る。当然、生命を維持する食料は、等価交換されるものではなく、圧倒的な暴力によって自らの命の優位を示したものだけが手に入れるべきなのである』(『モヒカン賊宣言(モスクワ版)』より)。彼らモヒカン賊たちが好んで使っていたのが釘バットであったことは、高校球児たちにとっていい迷惑だったが、彼らの親戚の中にもモヒカン賊になった者もいたから、単純にモヒカン賊批判をすることもできなかった。

千葉島の高校球児たちは、普段の練習では、成田空港付近で採取されるゲバ棒を使っていたというから皮肉としか言いようがない。しかし、現代の我々の論理で当時の千葉島住人たちの歪みを指摘するのは、お門違いだろうと俺は思うが、当時の高野連はそうは考えなかったらしい。高野連は鴨川示威世界高校野球部宛に、「公式試合でのゲバ棒の使用は禁止する」という通達を出している。無論、この通達に関しては本州においても報道されたが、驚くのは当時の報道のほとんどが高野連支持にまわっていたらしい。

鴨川示威世界高校の対戦高校である立川侍高校の監督が談話の中で、「バットがなければ打たなきゃいい」と発言したことは、単なるユーモアとして解釈され、その証拠にテレビや週刊誌などではこの発言をもじったコピーが氾濫した。有名なところでは、不二家がクリスマスケーキ販売促進のために作ったコピー、「パンがなければケーキが食えるのに」がある。
この監督談話に、鴨川示威世界高校球児たちが悔しさのあまり涙を流したのは当たり前のことだ。この日から、文字通り彼らは血のにじむような特訓の日々を過ごした。

そして、公式の高校野球史からは削除されることとなった、凄惨な試合が行われた。

鴨川示威世界高校側の攻撃になると、球場全体が血なまぐさい陰鬱さに包まれた。バットを持たない選手が、バッターボックスに立つ。ピッチャーが困惑しながらもボールを投げると、右腕をフルスイングする。その腕の芯にボールが当たる。静まり返った球場全体に、「ボキッ」という鈍い音が響く。骨の折れる音だ。ボールはボテボテのヒット。鴨川の選手は激痛に顔を歪ませながら一塁に向かって走るが、すでにアウト確実だ。それでも走る。塁を踏む彼に向かって、審判が「アウト」を告げる。すると、鴨川の選手は脂汗をだらだらと流しながら、ニヤリと笑って、「そうですか。ワスのプレイはアウトですか。ありがとうございます」と頭を下げて、ベンチへと戻っていく。表面上、審判に向かって非礼を働いているわけではないから、注意するわけにもいかない。
右腕の骨を折った選手は、もう一度打順が回ってくると、今度は左腕でボールを打つ。そして、またしても骨折する。「もうやめてくれ」という声が観客席から漏れる。だが、鴨川示威世界高校の監督は、選手たちを鼓舞するために、「バットがなくても野球ができて嬉しいなぁ!」と泣きながら叫び、選手たちもそれに答えるように乾いた笑い声をあげる。その哄笑に、観客席のささやきは完全に黙殺された。
五回裏、伝説のプレイが生まれる。すでに両腕を骨折していた山吹丈選手が、両腕をだらりと垂らしてバッターボックスに立った。立川侍高校の側は、すでに戦意を喪失している。ベンチからは、敬遠しろ、というサインが送られる。「これはもはや野球じゃない。暴力は、行使する側にだって心に傷を残す。試合に勝つことは、同時に彼らの人生に大きな傷を負わせることだと考えた私は、積極的に負けることを選んだんです」と立川侍高校の監督は述べている。キャッチャーが立ち上がった。ピッチャーは、ボールを物憂げに放り投げる。と、山吹は、自らボールの軌道上に走った。それほど勢いはなかったが、ボールが山吹の顔面にめり込んだ。山吹は上半身を後ろに反らせると、その反動でボールを押し返した。このとき、山吹は腹の底から思い切り叫んだ。観客の一人は試合後に、その声を「どす黒い怨嗟の念がこもった……そうですね、ブラック・トルネードとでもいうような叫びでした」と評した。それは単に気合の叫び声ではなかった。上半身の反動プラス驚異の肺活量によってボールを遠くまで押しやる、という打法だったのだ。ボールはぐんぐんとのびていき、フェンスを越えた。この日、唯一のホームランであった。
だが、山吹選手に走る力はすでになかった。ボールの行方を確認すると、ニヤリと笑って「顔面デッドボール打法じゃ」と呟き、その場に倒れこんだ。

結局、この試合は、鴨川示威世界高校の勝利で終わったが、次の試合に彼らが出場することはなかった。
彼らは千葉島へ帰るとき、甲子園の砂を海に投げたそうだ。検疫などによって千葉島への持ち込みが禁じられたからではない。「せめて、この海峡が埋まってくれれば、ワスたちにも普通の野球ができるんじゃないかと思ったんだ」と、山吹は後に語っている。
ところで、立川侍高校出身の、id:samurai_kung_fuさんからこんなエピソードを聞いたこともつけくわえておく。

あのね、『バットがなければ打たなきゃいい』っていう発言自体、誤解されてたんだと思うよ。ウチの高校の野球部って、かなり特殊な練習法を取り入れていて、先輩が言ってたけど、『ミットがなければヒップでとれ』とか言われて、ケツでボールをとる練習とかさせられていたらしいよ。なんの意味があるのか、誰もわからなかったらしいけど。

真相はわからない。ただ、高校野球というのが、ひどく歪んでいるということは伝わってくると思う。
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