ユーモア

文学界 2007年 12月号 [雑誌]

今月号の「文學界」、佐藤優の「私のマルクス」を読んでいて(井之頭動物園のヤクシカの横のベンチで)、思わず声を出してクスクスと笑ってしまった。なんだか変なユーモアが漂っていると感じて、これはどんな種類のユーモアなのだろうと考え込んでしまい何度も読み返しているんだけど、まあ面白いのだからそれでいいのかな。深沢七郎みたい、などと言うと褒めすぎだろうか? でも佐藤優って人の文章には、生真面目な顔ですごいくだらない駄洒落を言っている空気を読まない人、っていう雰囲気(真意を図りかねた聴衆がポカンとあっけにとられて間抜けな表情を浮かべる様が想像に浮かぶ)が漂っていて、俺は好きだ。
ロシアのキリスト教の一派、「分離派」についての説明がある。17世紀のロシアで、宗教改革に従わなかったグループなんだという。で、このグループ、ロシア皇帝に弾圧される。

分離派の指導者だった修道士アバークムは火あぶりになった。炎の中でアバークムは、「いいか皆の衆よ、たとえこの世の命を失っても、十字は二本指で切るんじゃ。三本指で切ってはならないぞ!」と叫びながら、息絶えたという伝承がある。

なんかヘンだ。この「私のマルクス」というのは佐藤優の半生記のような連載なんだけど、ときおり友人や恩師の言葉、あるいは読書した本の引用などが紛れ込んできて、それがちょっとふざけているように感じることがある。
上の引用の部分も、なにかの文献から抜粋した言葉なのだろうけど、どこから抜粋したのかは記されていない。だから正確な引用なのかどうか確かめようがない。
どちらかと言えば生真面目な地の文の語り口に対して、「二本指で切るんじゃ」という言い方が浮いてしまってないか? たとえば、「二本指で切るのだぞ!」じゃ駄目だったのだろうか?
もしかしたら、と疑いを抱いてしまう。もともとの文献はそもそも日本語に訳されておらず、ロシア語の文献から直接引用しようとして、そのとき意図的に翻訳の文体として「切るんじゃ」という言い回しを使ったのではないか。なんのため? わからない。
で、このあと、著者の友人のアルクスニスという政治家の母親が分離派だったという話になり、その出身地リガのことが描かれる。ちょっと長いけど、引用する。

アバークムの死後、分離派は二つに分かれる。ひとつは司祭を認め、正統派のロシア正教会やロシア国家と折り合いをつけた「司祭派(パポーフツィ)」である。もう一つは、この世の終わりが近いので、悪魔が支配するロシア正教会やロシア国家とは一切関係を絶つべきで、真にイエス・キリストを信じる信者だけで自己充足的な共同体を作ることを主張し、実践してきた「無司祭派(ベスパポーフツィ)」である。ソ連時代になって、一九二〇年代に「戦闘的無神論」という形で反教会政策が徹底的に行われ、その結果、「司祭派」は細々と生き残ることができたが、「無司祭派」はほぼ壊滅してしまった。しかし、リガの周辺には、「無司祭派」が共同生活をする修道院が、一九四〇年にラトビアソ連に併合された後も残っていたのである。現地当局が、この修道院に手をつけるとたいへんな暴動や焼身自殺などの面倒なことが起きることを懸念し、放置し、モスクワに詳細な報告を行わなかったのではないかと私は推測している。

最後の強調は引用者である俺がつけた。
ここを読んでいて、俺は笑ってしまった。
リガの現地当局が、「無司祭派」の連中を人道的に守ろうとして弾圧をしなかった、といういい話ではなくて、「たいへんな暴動や焼身自殺などの面倒なことが起きることを懸念し」た、と著者は推測するのだ。面倒。うわあ、いいなぁ。人の生き死にが「面倒」という一言で語られている。たぶん、こんな感じじゃないかな。「モスクワの政策には従わなくちゃなんないけど、別に俺ら、あいつらがなにを信仰しようがどうでもいいんだよな。つーか、解散させようとすると焼身自殺とかされて、騒ぎになるし、後片付けとか書類作成とかメンドクサイんだよ。まあ、だから、そもそもなかったことにしようぜ」。
それでここを俺が面白いと思うのには、二つの面がある。著者の「ロシアの役人はそういうふうに考えるものだ」という認識がこういう推測をさせるんだろうな、ということ。もう一つは、もしかしたら著者自身が「おおむね、人というのは他人に無関心なもので、そこにヒューマニズムなんてありはしないし、世界というのはそういうものなんじゃないか」と考えているのではないか、ということ。
真面目に自分の半生を語る語り口にヘンテコな言葉を紛れ込ませずにはいられない衝動というのは、そういう世界観と関係があるんじゃないのか? 「お前ら、俺の話に真面目につきあったりして、おかしな連中だなぁ。でも、俺に関心を向けるのと同じぐらい、というかそれ以上に、他人には無関心なんだろ? だって人間だもんなー!」みたいな感じ。
いやいや。これは俺の深読みで、俺の世界観なのかもしれないな。でも、まあ、それでこの作品を楽しめるんだからいいじゃない。
そして、俺は同じようなユーモアをこのブログにも感じるのです。どう、この無茶振り?