キョンシーマジックについて(6)〜八重子先生について私が知っている2、3のこと①〜

後ろから八重子先生が追いかけてくるのではないかとパニックになりながら、芋子と宮子は学校裏の藪の中を走って逃げた。やたらと柊の多い藪で、二人は全身に細かい切り傷を作った。柊には魔除けの効果があると宮子は聞いたことがある。この藪の柊は、なにから学校を守っているのだろうか。「いや」、と宮子はすぐさま自分の思いつきを否定した。この柊は、学校に「魔」を閉じこめているんだ。そうであって欲しい。深町先生も八重子先生も、きっとこの藪を越えることはできないんだ。


芋子と宮子が必死で逃げているのには、ちょっとしたわけがあった。


地震のことを、古代中国のある秘密結社がなんと呼んだか知っている?」
芋子が宮子に尋ねた。
宮子は、あらゆる質問に答えるのが苦手だ。なんだか自分の価値が試されているような心持ちになってしまうからだ。もともと引っ込み思案だった宮子だが、継母が来てからはなおさら質問が苦痛になった。継母はなにかとクイズを出す人で、それに答えられない宮子に、「そんなことも知らないの」と蔑んだように言うのだった。そのあとに必ず、「所詮、まがい物はまがい物ね」とつけくわえる。
「まがい物? 私が? 一体なんのまがい物だというのだろう」、宮子は不安になるが、自分から質問をするのはなおさら苦手だ。
酒を飲まないときには優しい父親は、そんなときにはそっと宮子を抱き寄せてくれて、「知らないことは悪いことじゃないんだよ。『知るは一時の恥、知らぬは一生の恥』なんだよ。怖がらずに、答えを教えてもらえばいいんだ」と言ってくれる。宮子はそんなとき、嬉しくてうつむいてしまう。黙っていても、父は非難したりしない。
「おいおい、また回想かよ」
という芋子のあきれたような声に宮子は我に返った。
「あ、いや、考えてただけ……でも、まだ、地震の本も、中国の本も、あんまり読んでないから」
「じゃあ、オススメの本があるから、それ読んでみなよ」
「え、なんて本」
民明書房から出ている『一見デマに見えるけど実は世界の真実を語っている陰謀論のすべて』という本だよ。書いてるのは、石原珍太郎っていう塵芥賞をとってる偉い作家だよ」
そんな作家のこと、知らなかった。宮子は少し落ち込んだ。
でも、すぐに父親のことを思いだして、顔をあげた。
「今度、読んでみる。それで、地震のこと、なんて呼ばれてたの?」
一瞬の間。
芋子は自分の言葉に、なにか効果を出そうとしていた。


「『死者の足踏み』」


時計の針はすでに三時を過ぎている。生徒たちの多くは帰宅した。校庭に残っている生徒も、今日はわずかのようだ。とても遠くからサッカーボールを追う数人の生徒の声がする。あれは、大熊君かな。
次第に大きくなる音がする。
まるで行進のようだ。
地を揺るがす。
違う。
それは宮子の心臓の音だった。
「死者……つまりキョンシーだよ」


そのとき、保健室に八重子先生が戻ってきた。
「あらあら、やっぱり田舎の子供たちっていうのは、都会の子供よりも性的に発達しているのかしらね」
八重子先生はタバコの煙を宮子に吐きかける。
「それでいつか都会に行くんでしょう……あたしみたいに」
きょとんとする芋子と宮子を無視して、問わず語りを始める八重子先生。
「あたしが、なんでこんな千葉島くんだりまで来たのかわかる?」
「……」
「……ろくでもない男のせいよ」
八重子先生は、小学生相手に恋の遍歴を語り始めた。
その話は、芋子の話とは違った種類の恐怖を宮子に与えた。
私のふくらみ始めたこの胸も、いつか男を狂わせるのだろうか。
だが本当に恐ろしいのは、八重子先生自身だった。
(つづく)