地下溝

今日と明日、特別に一般公開するというので、虎ノ門の地下溝へ行った。水道、電話、電気……等々のライフラインをまとめて敷設するための地下トンネル計画で、実はこんなのがずっと作られ続けていることを知らなかった。
これ(つまり公共工事の現場を、アートの一種として一般公開すること。トンネルにはキャンドルアートが展示されていた)はそもそもどこが言い出した企画なのだろう? たまたまインターネットで情報を知って、とにかく東京のアンダーグラウンドを見られる機会などめったにあるわけがないと、それだけの理由で行ったのだった。それはもう、予想を上回る驚きだった。巨大な人工建造物は、巨大というだけで人を圧倒するけれど(きっとそれは、その巨大さに具体的な力=労働力を見てしまうからだと思う)、高層ビルを見上げたときと違うのは、包み込まれている感覚だ。あ、たとえばビルの中の吹き抜けともまた違う。それはつまり、トンネルへと降りていくときに、小さなエレベーターで降りてゆかなくてはならなくて、地上が上にあるという意識が常にあるからだと思う。「見え方」そのものが独立することはない。つねに、「いかにしてそこに到達したか」とセットになっているから、仮に窓の一切ないビルの吹き抜けの底に立ったとしても、印象はまた別のものになるだろうと思う。ものすごい広い縦抗なんだけど、まわりから押し寄せてくる感覚に、閉所恐怖症でなくともものすごい圧迫感を感じる。そして、トンネルの奥で耳にする「遠い地上の音」は、なんと言えばいいのか、『ラピュタ』の地下の印象を思い出させるのだった。「日常」をかすかに意識させつつ、同時にそれがかすかであることで、遠く隔たった印象を抱かせる。きっとこれが「ファンタジー」ってことなんだろう。まったくの空想、絵空事ではなくて、どこかに現実、日常がこだましている……。
来ている多くの人は、建設関係の人だったらしく、ひとり使い捨てカメラで記念写真を撮っている俺は、なんだかおのぼりさんみたいだった。