そういうもんなのか

テレビを見ていたら、「フセイン拘束」というニュース速報が出た。
でも、番組は続行。慌ててNHKにまわしたら、米軍による記者会見の模様が中継されていた。
ちょうど、自衛隊の派遣が決まったところで、これって大きな出来事なんじゃないの、日本にとって?。例えば、フセイン政権の残党と見られているゲリラ(レジスタンス?)たちの士気に変化が生じるかもしれないよね。
勿論、その記者会見を流したところで、ニュース速報以上のことはわからないかも知れない。もっと情報がまとまったところで、コメントも添えて、ニュース番組で扱うということなんだろう。
でも、どこか違和感がある。
極端に言えば、マスコミの性質というのは、政治的中立ではなくて、世論の操作だと思う。政治っていうのは、選択と排除ということで、マスコミはある選択の結果を受け手に届けるもんでしょ。例えば、世論調査の結果がニュースで流されている時点で、視聴者は「どうやら、この問題について私たちは意見を求められているらしい」というメッセージをそこから受け取ることになる。逆に言えば、そこで語られていないことは、「関心を持たなくてもかまわない」という負のメッセージを持っている。だけど、排除してるって部分については、言う言葉がないんだよね。私たちはこれこれのことに関しては、みなさんの視界から排除しましたよ、と言えば、その時点でそれらのことを可視化するってことだから、結局きりがない。
で、選択された情報は重要な(マスコミが受け手に強く印象づけたい)順に並べられて、放送時間だとか、コメントの多さとか、紙面の面積だとか、そういう具体的な形を与えられて、俺らのところに届けられる。
つまり、マスコミのしてることは、ある政治的な判断なわけでしょ?
そのこと自体は別に問題だとは思わない。
ただ、今回のような出来事について言えば、「じゃあ、あんたらは、このフセイン拘束という情報を、強く視聴者に印象づけようとはしない、っていう政治的判断をしたんだよね」ってことだと思う。
「見たい番組を中断しやがって」という声があがるとしても、結果として「あのとき、あのニュースが入ってよー」というように、そのニュースに関心を持ってくださいというメッセージはきちんと伝わる。
それがマスコミの性質であると同時に、使命なんじゃないの?
だからこそ、表現の自由っていうのがあるんでしょ。なんで自由が保障されなくちゃなんないかって言ったら、表現が根本的に「政治」だから、でしょ?
あーあ、つまんないこと書いちゃったよ。