『ゴシカ』

死者は善良である、という信念があるわけではないのだろう。「なぜ幽霊は出現するのか?」という素朴な疑問は、素朴であるだけにやっかいな問題だ。本当のところ、正解などありはしない。
しかし、どうやらそこに回答を用意するのが、映画の作り手のしての良心であると、この映画の製作者たちは考えている。
精神科医であるハル・ベリーが、心当たりのない殺人事件の容疑者として、自分の勤めていた犯罪者収容施設に入れられてしまう、という「つかみ」は悪くない。驚きはしないが、お手並み拝見といったところか。
だが、これは同時にゴースト・ストーリーだ。そこに困難がある。
心当たりのない殺人事件に巻き込まれた主人公は、自分が置かれた状況を理性的に解決しようとする。
一方、幽霊というのは、理性では計り知れない存在である(はずだ)。
難しいよなぁ。思えば、『着信アリ』も同じ問題を抱えていたんじゃないかな。
主人公の善良さは絶対におかせない。彼女の善良さが招きよせてしまった幽霊……。なにかメッセージがあるはずだ……。つまり、主人公の善良さが担保となっているような幽霊だ。
幽霊と対決するようなことは、しかし、しない。あくまでも、幽霊は不可解な存在であるという前提を崩さないためには、やはり「対決」というのは避けるべきだ……と、製作者たちは考えたんじゃないのか?
結果として、幽霊は善良さを持ち合わせてしまう。
……難しい。ゴースト・ストーリーというのは、難しい。俺自身の困難が、この文章を晦渋にしている。