『スクール・オブ・ロック』

チアーズ!』でもそうだったが、いまアメリカ映画では、「勝負に勝つことではなく、困難があったとしてもあきらめないでやれるだけのことをやりきることの方が大事なんだ」というのが流行っているのかな。
しかし、同時に映画のこちら側(観客)にとっては、それは確かな「勝利」になる。だって、みんな映画を通じてキャラクターたちを愛してしまっているから。
とにかく子どもたちがいい。個人的にはサマーという級長を演じていた女の子に萌え萌え。なんかクリスティーナ・リッチを彷彿とさせるんだよな。もちろん他の子どもたちもみんな素晴らしい。
優等生ではあるけれど、そんな自分は実はいけてないんじゃないかと思い悩んだり、逆に自信満々だから先生の采配に不満を持ったりするんだけど、そういう子どもたちを先生であるジャック・ブラックはひたすら肯定してあげる。自分が作ったバンドをクビになって、まるで世界中に否定されているような存在であるジャック・ブラックは、そのルサンチマンを憎悪として世界に向けるのではなく、子どもたちを通じて肯定として表現する。
が、まあ、実際にはジャック・ブラックは子どもたちをだまして、自分の欲望を実現させようとしただけなんだけど。
でも、その先なんだよな。初めて優等生じゃない自分たちを肯定してくれた大人であるジャック・ブラックを、今度は子どもたちが肯定してあげる。
クライマックスではもちろん泣いてしまったけれど、その伏線である出来事に俺は一番ホロリとしてしまったんだ。父親にロックなんか聞くな、と厳命されているシャイなギタリスト少年。始めは自分の意見を、他の子に比べれば表に出さなかった彼が、あることをする。
ロックは学校で教えるもんじゃないだろう、という見方は正しいと思うけれど、このギタリスト少年のエピソードはそれに対するこの映画なりの答えだと思った。
それはつまり、与えられた武器を使って、自分の戦いを始めるというのが、この映画の考える「ロック」なんだってこと。
戦いの結果は「負け」かもしれないけれど、そうやって戦い始めることこそが大事なんだ。ふてくされてたってしようがないだろ、と子どもたちが駄目なオトナのジャック・ブラックに教えてあげる、そんな映画。
もう一回、観に行こうっと。