『世界の中心で、愛をさけぶ』@吉祥寺オデオン

意表をつく結末に驚いたよ。驚愕のラスト。観客は世界の辺境に置き去り。
あそこまで行って、中心の場所がわかったとか言われても……。


いや、これって、長澤まさみの映画なんだね。だから、俺は怒らないよ。ちょっとおきゃんなキャラクター、素敵だよ。陸上部で走る姿もいいし、水着の場面ではがっちりとアイドル映像だったもんね。タオルで作った簡易更衣室で着替える長澤まさみには、俺も萌えたよ。
もうね、そこだけでいいよ。彼女はこの映画に出てよかったと思うよ。魅力的に写ってた。


なのにさ……ふう。


いや、ちょっとだけ言わせて。


あのさ、映画の中で、反社会的だったり、非常識な行動を主人公がとるのは、間違ってないと思うよ。
そうだな。例えば、『E.T.』のエリオット少年だって、本当に宇宙船が迎えに来るかどうか確信があったわけじゃないと思うんだ。だから、瀕死の宇宙人を自転車に乗せて森へ行こうとする判断は、やっぱり常識的な判断ではない。でも、病気なんだから医者(専門家)に任せとけ、っていうのは映画の主人公に対するツッコミではない。
だけどさ、誰にも見つからずに(作戦なしで)瀕死の彼女を病院から連れ出して、タクシーで空港に行き、だけど台風のせいで飛行機が飛ばないからあきらめるっていうのは、どうなの? それに感情移入しろっていうの? 
違うでしょ。
わかって欲しいのにわかってもらえない二人だけのこの気持ちを実現するためには、非常識な行動をとらざるをえないんだ、っていう「覚悟」を表現して欲しいわけでしょ、観客は。常識にとらわれたアホなオトナにはむかってでも、「二人でいたいんだぁぁぁあ」、とか言って欲しいんだよ。追ってくるに違いないオトナたちを出し抜こうと思うんだったら、天気予報ぐらい見ろよ。


だけど、この映画のオトナたちもアホだから、追ってきもしないし、おとがめもなし……。


で、だね。最後に。
どうして、柴咲コウが、あの重要なブツをもっていたのか……。
マッチポンプっていうの、ああいうの?


観てない人は、観た方がいいよ。なんか、びっくりするもん。