インセクト・タブーとは?

誰かキーワード化してくれないかと思っていたら、なっていた。


だけど……。


今回のライブをもって、インセクト・タブーは事実上解散します。
でもまぁ、誰かが死んだわけではないので、いつかまた同じメンバーで復活するかもしれませんが。


というわけで、さらっとおさらい。


そもそもは俺のソロ・テープ作品『虫博士 is dead』(1996年)が始まりだ。
なんだ、はじめから死んでるんじゃないですか!
ジャケットには、長髪の俺がバスタブで死んでいる写真が使われていた。
記念すべき一曲目のタイトルは、「ピュア IQ=0」。
死んでる上に馬鹿。
処置なし。


それを友人であるギターの宇波拓が激賞。ちょうどその頃知り合った足立智美も激賞。じゃ、ライブをしようということになって、新宿南口にあるシアター・プーで初ライブ。97年頃だと思うな。
なぜかライブに来ていた評論家の平井玄氏に激賞される。
「都会育ちの三上寛だ」と。
まあ、縁が深いわけですわ。
別のユニットでご一緒した大友良英さんには、「礼儀正しいね」と言われて、それを売りにしてたときもあったな。


その後、やはりライブに来ていた河崎純がベースを、宇波の友人である下田温泉がドラムを担当することになり、以来ヘルプが入ることもあったけれど、虫博士を含む五人で活動することになる。


思い出深いのは、俺が「なんか変拍子とか取り入れたらかっこよくないか」と提案したところ、メンバー全員が苦笑して、「あんた、リズム感ないから、そもそも変拍子になっちゃうんだよ」と言ったこと。
超絶テクニックのメンバーと、テンションの高さだけが取り得の俺との関係をよく物語るエピソードだ。


曲はね、俺が鼻歌で作ったのを、メンバーがニヤニヤしながら共同で作り上げてゆく、というスタイル。
そうやってできたくだらない歌の数々……。
ソビエト連邦 名前にポがつくね 江戸川乱歩 国木田独歩
「一人でもレーニン
「なぞなぞ子守唄」
ガチャピンを ガシャパンと発音」
ロボダッチ妻」
肉骨粉 ニコニコプン ゆかいな仲間」
「カランバとランバダは似ているけど違うよ」
タモリモリタアナグラム
「ぴかぴかの駝鳥」
ジャンバルジャン ジャンバルジャン バルって何系?」
……
小学生並の知性。


楽しい思い出ばかりだ。
初期のキャッチコピーは「才能のポトラッチ」だった。
バンド名の由来は、人類学用語の「インセスト・タブー」だけど、笑ってくれたのは足立さんだけだった。
神戸のIさん、Eさんが呼んでくれたときには、ウッドベースのカバーに包まれて眠った。
神戸のライブハウス「ビッグアップル」のマスターはゲラゲラ笑いながら、「あんた、人を殺す目をしてるね」と俺を評していた。
彦根にEVさんが呼んでくれたときには、廃ビルがイベント会場だった。
いつもライブに来てくれるSleepingBeutyのメンバーは、自分たちのホームページに、お気に入りのバンドとしてフランク・ザッパと並んでインセクト・タブーを書いてくれたけど、誰も知らないって!
やっぱりいつも見に来てくれたSさんは、「世間に紹介しなくちゃ」と言いながら、DMBQ面影ラッキーホールと同じステージに俺らを立たせてくれた。
たくさんのお客さんが、笑ってくれた。


そしてなによりも、俺のわがままにつきあってくれたメンバーたち。


やべ、なんか湿っぽいな。


昨夜も、西荻のUENで練習だった。
いままでどおり、ゲラゲラ笑いながらの練習だった。
いやぁ、毎回、くだらないアイディアは出るもんだね。


要はね、来て欲しいんですよ!
明日は、はてなのオフ会のことなんか忘れて、みんな西荻に来い!