『華氏911』@バウスシアター

ずいぶん前に観たな。
ボウリング・フォー・コロンバイン』にも感じたけれど、感情的なフックを作るのがうまい。今回、俺の琴線に触れたのは、イラクに出兵した兵士の一人が、「人を殺すたびに、自分の魂の一部が失われるようだ」ともらす場面。
まだ読了していないけれど、『戦場における「人殺し」の心理学』(ISBN:4480088598)のことなどをふと思い出す。
戦場という非日常の世界では、殺人は上官から命令されるただの「仕事」であって、常識的な感覚など簡単に失われてしまうんだ、というのは戦場に立ったことのない人間のフィクションであることが、そこでは論じられている。第二次世界大戦のときに、どれだけ多くの兵士が、周囲に見つからないようにわざと銃口を空に向けたか。
印象的だったのは、誰かを殺すとき、人は犠牲者から「憎悪の風」を受ける、というくだり。人は、相手の顔を見るとき、そこに魂を見て取ってしまう。
華氏911』の中に登場する兵士たちも、「どうしてイラク人たちは俺達を憎むんだ?」と言っていたな。その困惑が戦場のリアリティなんだろう。
じゃあ、殺傷率が高くなるのは? 相手の顔が見えないときだ。空爆で町を破壊する兵士には、殺人の意識は希薄になる。
つまりこういうことだ。戦場で、個人的な恨みなど感じていないイラク人を殺さなくてはいけないアメリカ人の若者たちが人を殺すことで魂の一部を失っているとき、殺す相手の顔を見なくてすむ連中は、自分の魂を傷つけないままに、「どんどん殺せ」と命じることができるんだ。
兵士を戦場へ送ることがやりきれないのは、彼らを死の危険に直面させるからだけではない。先にあげた本の中では、多くの兵士が自分が死の危険にさらされているときでも、なるべく人を殺さないようにふるまっていることが示されている。やりきれないのは、自らをそれほど罪深い人間なんだと思ってしまう人々を作り上げてしまうということだ。
マイケル・ムーアのように、イラク戦争が正当ではないから、彼ら(兵士たち、残された家族たち)はかわいそうだ、とは俺は思わない。
きっとどんな正当な理由があっても、戦場にいる人々はすべてかわいそうだ(ナイーブな言い方だな……)。
でも、それもムーアはわかってるのかもしれない。
最善の世界はありえないかもしれないけれど、より悪い世界になるか、よりよい世界になるか、そこに賭けられるチャンスがあったら、こういう映画を作るのも悪くはないかもしれない。
少なくとも、ニュースで流される名前のない映像が「事実」として受け止められることに誰も疑問を抱かない世界よりも、マイケル・ムーアという責任者の名のもとに編集された「意見」を1800円払って観に行く人々がたくさんいる世界のほうが、「マシ」なんじゃないだろうか?