『SAW ソウ』@新宿オデオン

ジグソウ(パズル)の「ソウ」。のこぎり=ソウの「ソウ」。そして、「見た」の「ソウ」


はじめから、ラストの「意外なオチ」が期待されている作品。だから、実は「意外」なことはなにも起きない。
「ああ、やっぱり『意外』だったね」というわけだ。


「クリムゾン・ルーム」のような作品、と言えばいいのだろうか? 死体とともに密室に閉じ込められた二人の男は、限られた時間内に部屋を脱出しなければ、殺される。二人は、ちりばめられたキーワードとアイテムの意味を探ろうと、必死になって知恵をしぼる。
が、これだけではさすがに長編映画にはならないと考えた作り手たちは、回想のエピソード(と、当然、それにまつわる「信用できない語り手」のトリック)やら同時進行の母子監禁のエピソードをとりまぜて、なんとか観客に「フーダニット」の興味を持たせつづけようと奮闘する。誰がこんなひどいことをしたのか?
が、それがかえって、全体を単調な印象にしてしまっているんだよね。結局、観るべきポイントが、そこにしかない。観客を出し抜こうとばかり考えすぎて、目の前の出来事やキャラクターの魅力に乏しい。せめて、閉じ込められた二人のあいだに生じる友情やら裏切りやら、それぐらいはもうすこし描いて欲しかった。
いや、わかるよ。誰にも感情移入させない、というのが、「登場人物すべてが犯人に見える」という演出の意図によるものだってことぐらい。
ん? そんなことない? 感情移入させるために、閉じ込められている医師の、家族とのあたたかい交流の場面を用意してるって?
駄目駄目。だって、それは回想の中で描かれるじゃない。それが「回想」という「嘘が含まれるかもしれない」語り方によって描かれているから、その後のどんでん返しは、予想できちゃうんだよね(少しはミステリーを知っていれば)。
形式が、感情移入を拒んでいるよ。
堂々と、現在進行中の密室での二人のやりとりを通して、感情移入させてくれなくちゃ。