ドキュメンタリー映画を観てきたよ>『ランド・オブ・ザ・デッド』

ゾンビの生態を淡々とつづる、それがロメロ先生のライフワーク。僕ら観客はただゾンビの知られざる生態をじっと見つめ、感嘆するのみ。


『ランド』によれば、ついにゾンビも知性を獲得し、道具を使い始めた。「なぜ?」と問うのはナンセンス。ボノボが道具を使うのを発見して、「なぜ?」と問う学者はいないだろう。ただその事実に感嘆すればいい。
『野生の王国』とゾンビ映画はよく似ている。肉食獣の特集のときには、必ずハンティングの場面があるでしょう? そして、ライオンが常に狩りに成功するわけではないように、ゾンビもまた常に人間の肉を喰らえるわけではない。だけど、最後にはきっちりその場面はおさえる。血わきウジ踊る! まさにグレートハンティング!


さて、『ランド』が示唆してくれた新しい発見は、「ゾンビになるのも悪くないかもしれない」という発想だ。主要登場人物の一人であるチョロは、ゾンビに噛まれたのち、相棒に撃ち殺されることを拒否して、積極的にゾンビになろうとする。
俺はこの場面を見て、歴史の転換点に立ったような気がしたよ!
他のみんなは、ゾンビの立場で人生を考えないから、「ゾンビになるくらいだったら死んだほうがましだ」とか言って、自殺したり、人に撃ってもらったりする。ゾンビになるってことは、アプリオリに悪だ!と言わんばかり。そんな考えの人にとっては、そりゃあゾンビはホラーなんだろうね!
だけど、チョロは違うんだよね。身をもって、充実したゾンビライフを満喫してみせる。 
その姿を観客に見せつけながら、チョロはこう言いたかったと思うんだよね。
ゾンビにも生きる権利があるし、幸福を追求する権利があるんだよ!
ゾンビに噛まれるってことは、死ぬってこととは違う別の位相へと人生をシフトチェンジすることなんだ。


動物保護を訴えるように、ロメロ先生はゾンビの保護を訴えるためにこの映画を作ったんだね。まあ、そういう意味ではこの映画は政治的かもしれないけど、どう観たって現代アメリカとは関係ない話だった。