『ダーウィンの悪夢』観た@東京外国語大学226教室

一部で話題のドキュメンタリー。
悪意で動く人間はいない。ただ巨大なシステムの各部において、それぞれの幸福を最大にしようと努力している人々だけがいる。
たとえば、武器をアフリカに運び込み、ヨーロッパ・日本向けにナイルパーチの肉を輸送する飛行機のパイロットたち。
彼らは口をそろえて、「どんな荷なのかは、俺たちには関係ない。ただ運ぶことが俺たちの仕事だ」と言う。
だが、それは確実に、ある流通のシステムが機能することを手伝っていて、そのシステムが有効であるうちは、タンザニアのあそこの人々の生活は、最悪なものにならざるを得ない。
自分たちが漁をし、加工する魚の肉を食うことができず(高価だから)、「ゴミ」として処理される部分を食用にする。アンモニアガスのために片目を失った女性がいる。ホームレスの少年たちは、強姦される恐怖から逃れるために、魚の輸送用の発泡スチロールを燃やしてガスを吸引する。女性たちには売春ぐらいしか仕事がなく、エイズ渦はとどまりを知らない。神父は、「そもそもセックスが罪であるから、コンドームの奨励はできない」と言う。
でも、そういう「事実」を知ったところで、パイロットたちは、罪悪感をおぼえることはないだろう。当たり前だ。彼らも彼らで、必死に自分の仕事をして、家族を養っているだけなんだ。たとえ、罪悪感を持ったとして、どうなる? どうせ自分の代わりのパイロットは他にたくさんいるんだ。
ナイルパーチの加工業者の連中だってそうだ。結局、それをより発展させることしか、地元産業を活性化させることはできない。これをやめてしまったら、ここの地獄は、もっとひどくなるしかない。……続けることも、地獄なんだが。


どこにも、悪意を発する人はいない。
ただ、それぞれの幸福を最大限にしようとする人々がいるだけだ。


「タンザ〜ニア タンザ〜ニア」と歌う売春婦が忘れられない。
もしかしたら、映画として巧妙に排除されているのかもしれないが、「怒り」よりも「絶望」、そしてそれでもなお生きていかなくてはならない人々がなんとか「喜び」を見出そうとするありよう、が印象に残った。
だからこそ、救いようがない。
ロシア人パイロットが最後に、「仕方ないじゃないか」というような言葉を吐く。
この世界は、すでに地獄だ。地獄でなんとか「喜び」を見出そうとするしかないというのは……。