久しぶりに

押入れの中を整理していたら、高校三年生のときに撮影した8ミリフィルムが出てきた。現在手元にある映写機はモーターが壊れていて映写が出来ないので、リーダーを手でつまんで光にかざして見てみた。サインペンで彩色してある。そうそう。当時は色んなことを試すのが楽しかったんだ。建設途中の都庁のふもとで横たわっている自分らしき小さな影が映っている。なんだかついこないだのような気がするけれど、もう16年も前のことなんだな……。


ええええええ!!!! 16年????


高校生だった俺にとっては、80年代初頭の自主映画ブームは、「遠い過去」に思えたものだ。たとえば、こんなたとえで言えば、伝わるだろうか?
石井聰亙監督の『狂い咲きサンダーロード』は当時の俺にとって、すでに「古典」だった。けれど、塚本晋也監督の『鉄男』はいまでもリアルタイムの「新作」として感じられる。
高校生のときの時間感覚は、いまでも残っている。その時間感覚が、自分にとっての「世代」ということだなぁ、と思う。
で、いまの高校生にとっては、『鉄男』も「古典」に感じられるんじゃないのか?
16年という歳月は、充分に「歴史」ではないか?
そんなことを思ってしまったのだった。