『引き裂かれた兄弟』を観た

せつない。実話に基づいている、というのがさらにせつなさを増す。
物語は、1945年7月の中国から始まる。当時、大陸の日本軍は極秘のうちに死体を蘇生させる実験をしていた。この実験が成功すれば、特攻の悲劇は悲劇でなくなるばかりでなく、人体を繰り返し兵器として利用できる(無論、バラバラになった肉片をきちんと回収できれば、の話であり、そういう杜撰な考え方に支配されていたというところに、日本軍の切羽詰り感がある)。無論、荒唐無稽な計画だった。一度死んだ人間が甦るなど、あるはずがない。
しかし、研究の過程で、思わぬ発見があった。中国の奥地に生息する、キノボリホヤモドキが敵に襲われたときに体内で生成する興奮物質がそれだ。この興奮物質は、キノボリホヤモドキの体を非常に硬質にして、敵に食われないようにする。実験のリーダーであった、城山哲三郎博士は、この物質を抽出して人体に組み込めば、最強の肉体を持った兵士が誕生するのではないか、と考えて、数人の志願兵にこの物質を注射した。
誤算であったのは、この興奮物質が、それ自体、ある種の生物であった、ということだった。それは、人間の体内に入ることによって、キノボリホヤモドキの体内にあったときとは違うふるまいを始めた。まず、その物質は脳内にとどまり、増殖を始めた。たちまち、人間の思考能力は低下する。目はうつろになり、ふらふらと歩き回り、他の人間に噛みつき始める。研究員の一人で、ラフカディオ・ハーンの愛読者だった男が、日記に、次のように記している。

まるで、ラフカディオ・ハーンが随筆で書いているハイチのゾンビにそっくりだ。

凶暴性の増したそれらの兵士はしかし、兵士としては不完全だった。思考能力の極端な低下により、命令を理解することができないのだった。結局、これらの兵士たちは、「失敗作」として「廃棄」されることになった。だが、銃で撃つと、体が硬質化して、弾を弾き飛ばしてしまう。
結局、彼らは戦争が終わる直前に、すべての実験書類とともに、「生きたまま」地中深くに埋められることになった。


後年、この興奮物質の組成を詳細に分析した研究者によると、それは自己複製能力を持った無機物のようなものである、ということだった。つまり、地球上のあらゆる生物とは、根本において構造が違う、ということだ。では、一体これはなんなのか? 2006年現在の最新の研究論文を読んでも、結論は出ていない。ただ、参考として次のようなエピソードがつけられている。

キノボリホヤモドキは極めて限定的な地域にしか生息していない。中国の福建省の山中、アメリカのネバダ州の砂漠、南極の一部。なぜ、このようにバラバラな地域に分散しているのか? ところで、これらの地域すべてに共通するのが、かつてそこに隕石が落ちた形跡がある、ということである。これは何を意味するのか? 断言は避けるが、キノボリホヤモドキの体内にある興奮物質は宇宙から来た、未知のウィルスである、という可能性がある。もしかしたら、そこに、キノボリホヤモドキが普段は地中に潜んでいるのに、太陽の黒点が活発である時期に、高いところに一斉にのぼる、という奇妙な習性の秘密があるのかもしれない。



閑話休題
物語は、1993年の中国に舞台を移す。工場建設のために地面を掘り返していた業者が、地中から「生きた日本兵」を掘り起こしたのだった。無論、なぜそのようなところに人間が埋まっているのか、またどうして彼らが生きているのか、誰もわからなかった。戸惑いながら、その日本兵たちをとりあえず病院に運ぼうとした。が、突然、その日本兵たちは中国人たちに噛みつき、肉を喰らい始めた。現場にいた、アメリカ映画好きの作業員は、「『ゾンビ』のようだった」と新華社通信のインタビューに答えている。
この奇妙な出来事がきっかけで、中国政府と日本政府が緊張関係になったことをおぼえている人は多いと思う。結局、日本政府が彼ら「生きていた日本兵」を引き取り、殺され食われた作業員の家族に慰謝料を支払うことで、手打ちとなった。
だが、外交問題の次には、国内問題が当然発生した。すでに彼らが死んでいると知らされていた遺族たちが、面会を求めたのだった。だが、彼らの存在そのものが、政府にとっては機密情報にあたる。マスコミも、引き裂かれた家族の悲劇として遺族たちの援護射撃にまわり、それが参院選の争点の一つになったりもした。
が、不意にこれにまつわるニュースは報道されなくなった。オウム事件が発生したことも大きかったが、真相は次のような事情による。
実は、遺族たちと、「生きていた日本兵」の面会は、1995年3月1日に、青森県六ヶ所村にある秘密の施設で行われたのだった。数人のメディアの人間もいた。
感極まった遺族の一人が、職員の制止を振り切って、「兄さん!」と日本兵の一人に抱きついたところ、日本兵はうつろな目でその遺族の体に噛みつき、貪り食ったのだった。
唖然とする人々。
文字通り、兄弟は引き裂かれたのだった。
この場面だけは、再現ドラマではなく、本物の映像(同行した共同通信のカメラマンが撮った映像)が使われていた。レンズに飛び散る脳漿!


その場面でいきなり黒味になり、エンドクレジット。
殺伐とした、ドキュメンタリータッチとあいまって、俺は胸がキュンとなってしまった。現代日本で、こんな映画が作られるなんて、やはり邦画復活は本当のことなのかもしれないと思った。