ノーベル平和賞に立候補したい

例えば核爆弾を作ろうとしている連中がいるとする。そいつらは当然物理学について、一般人よりもずっと知識があり理解力があり応用力があるに違いない。
つまり頭がいい連中なんだな。
そいつらが核爆弾を作るのを止めるにはどうすればいいか。
そんな危険なもの作らないほうがいいですよ、と説得するのも手だろう。
あるいは、殺すぞ、と脅すのも手かもしれない。
しかし、いずれにせよ、彼らが絶対に核爆弾を作らない、という保証を得ることはできない。
それに、核爆弾を作る方法が、人間にとって学習可能な知識としてこの世に存在する限り、核爆弾を作ろうとする(作れる)連中が現れることは必然だ。
そこで、本日俺が提案したいのは、「馬鹿爆弾(BAKA-BOMB)」だ。
こいつは、人体に物理的な損傷は与えない。それが破裂すると、その影響下にある人間の知性が著しく低下するのだ。
もうね、たとえば「エネルギー保存の法則」すらわからなくなってしまう。足し算はかろうじて出来るけど、引き算はできない。
当然、そんな状態の人間に核爆弾を作ることはできない。
さて、そんな爆弾があれば、地球環境問題も解決するのではないだろうか? 重工業は壊滅的だ。あらゆる科学文明は滅びる。かろうじて呼吸による二酸化炭素の排出は残るが、それは仕方ないだろう。
戦争は……まあ、現代的な戦争はなくなって、こん棒で殴りあうような形の戦争になるんだろうな。全面戦争はなくなる。科学の力がなかったら不可能だもんね。
と、そんなことをぼんやり考えていたら、ノーベル平和賞をもらえそうな気がしてきた(中学生のとき、テレフォンショッキングを見ている最中に「ウチにいま電話がかかってくるかもしれない」と思い込んだときと同じぐらいの興奮をおぼえる)。
もしかしたら、ゆとり教育を提案した人は、いつかノーベル賞でももらうつもりで頑張ってたんじゃないのか(井上陽水風)。