一人称を「僕」にしてみる

夕方、神戸のEさんから電話があった。Eさんは神戸在住のミュージシャンだ。Eさんとの出会いは僕が20代半ばだから、かれこれ5、6年のつきあいになる。
今日の電話は最近の僕の仕事に関わることだったのだけれど、電話で僕もEさんも笑ってしまったのは、「まさかあの虫博士がこんなことするようになって、それが僕(Eさん)の仕事ともからむなんてね」ということだった。最近たまたまEさんの友人が、昔の虫博士の音を聴いてゲラゲラ笑った直後だったらしく、ますますおかしくなってしまう。
僕だって、自分の仕事が、虫博士として出会った人の仕事と結びつくなんて思ってもみなかった。
無駄に年ばかりとってるけれど、その分こういう楽しみも増える。積み重なると出来事には勝手に意味がついてくる。自分の意志とは別に起きる「たまたま」の出来事の連続に、あとから思いがけない「効果」を見つけてしまってびっくりするのは、年をとったからこそわかることで、それはどうも「真理」と「誤謬」とのチャンポンみたいなことのようだ。
なんてことを考えてるときに手元にあるのは、『レイアウトの法則』という本で、そのなかの次のような一節を読むと、「ふむふむ、なるほど」なんてわかった気になってしまう。
「いろんな場所で同時に動いているものを探して、それらを多層として記述してみると、実はその動きどうしに、ある関係づけみたいなものが生まれてくる」
なるほどね。「生まれてくる」ってとこがポイントの気がする。
こうやってまた誤解が僕を前へと前進させる。