記念日

「言葉はいつも想いに足りない」と言ったのは鴻上尚史だったけど、記念日と言いながらこれを書いている今はすでに日が変わっている。←変な文だが、そんなふうに書きたい夜もある。
とりたてて自分の処女作、という気もしないのは、結局自主映画をやっていても、商業映画をやっていても、やっていることはおんなじだと思ってやっているからだろう。自分が面白いと思うようにしか、演出はできない。
で、できあがったものを、人が喜んでくれればそれはすごく嬉しいけれど、結局自分のなかの「映画」との比較でしか、自分では評価できないから、いつだって「よしやった!」と「ああ、まだまだだ」とのはざまで気持ちは揺らいでいる。
と、そんなふうにあれこれ言い訳しながらも、結局日記のタイトルに「記念日」としてしまう。でも、単純に嬉しいのとも違う。
あー、実感がないから、こう書くのかもしれない。自分で自分の気持ちがよくわからん。すごい好きな女に駄目もとで告白したら、あっさりオッケーだったみたいな気持ちか? なんだそれ?
……ずっと待ち望んでいた祭りが、あっというまに終わったあとの寂しい気持ち、かな。次の祭りはいつなんだろうな。
ま、つまりは商業映画デビュー作の初号試写があったってこと。
なんだよ、昨日は「秘密」とかもったいぶっといて。