清水宏ってやっぱり面白い

昨日、フィルムセンターで『蜂の巣の子供たち』と『小原庄助さん』の二本を観た。
子どもたちが文字通り蜂のようにぶんぶんと画面の中を駆け回るのを眺めているだけで、至福のときを味わわせてくれる『蜂の巣の子どもたち』。子どもたちは、清水宏にとって映画のアクションそのものなんだろうと思う。一人の子どもが死んでしまう場面はだから映画そのものが泣いている、なんていうのはレトリックに走りすぎ? でも、おぶっていた子どもの背中からおぶわれていた子どもがごろんと地面に落ちた瞬間、俺は自分の見ている光景が信じられなくて、気づいたら泣いていた。ラスト、道の向こうから無数の子どもたちが走ってくる場面の多幸感には、当然大笑い。
それから、風景! 日本でもこんなに素晴らしいロードムービーが作れるんだ。風光明媚な場所を選んで絵葉書のように仕立て上げるのではなくて、いつでも「そこ」が映し出されると同時に、「これから進むどこか」をも画面の外に感じさせてしまう。どこまでも続く感じ。特徴的なトラックバックは、まだ見えぬ画面の外の風景を次々と画面の中へと送り込んでゆく。見えないものが確かにまだまだあるんだ、という感じ。世界には映画にすることはまだまだたくさんあるんだ、というおおらかなオプティミズム清水宏監督の映画って本当に素晴らしいですね!
小原庄助さん』は、ロードムービーへと至る長い長い助走の物語。旅に出るには、家柄だとか代々伝わる家具なんかは、ことごとく捨てなくちゃならない。ロバだって子どもにくれてしまうのは、きっと旅の基本は徒歩にあるからなのだろう。「庄助さん」は清水宏の映画にふさわしい身軽な人物になるために、身上をつぶす。人情が主人公を救うのではなくて(村人たちが嬉々としてオークションに参加する場面! おいおい、さんざん世話になったのと違うの? と思わず突っ込みたくなる)、何もかも失った主人公が、失ったということそのことじたいで救われる、というのがなんとも凶暴な映画だと思う。