『ミスティック・リバー』

イーストウッドの新作です。こないだ試写で観てきました。でも、イーストウッドは出ていません。なんだかそれが寂しい。ショーン・ペンってすごい好きなんだけど(監督としても役者としても)、実は「苦悩」が似合わない気がする。実は結論ははじめから決まっているような……。もしも、イーストウッドだったら、復讐の苦々しさが強調されるんだろうな。
でも、この映画、復讐の虚しさ以上に、もっと恐ろしい認識をもっている気がする。復讐の虚しさというのは、復讐によっては正義は回復されない、っていう認識だけど、この映画の世界では、もはや回復されるべき正義すらはじめからありはしないんだ、と……。だから、ラストのあっけらかんとした明るさが、ものすごく陰鬱に感じられてしまう。もはや、アメリカは(世界は?)、こんな世界に踏み込んでしまっているんだ、虚しさをおぼえている「余裕」など許されないんだ、と。
イーストウッドは、もはやそんな世界に身を置くことはできない、そう考えたのだろうか。もうこの世界には、イーストウッドには出番はありはしないんだ、という自己認識? なんてことを妄想してしまうような、空っぽな暗黒を見せつけられた気がする映画でした。