『この世の外へ クラブ進駐軍』

試写会で観ました。というわけで劇場公開はこれから。つまりこれからお楽しみがあるということで、それってつまらない仕事をしていてもなんとか持ちこたえる力になるってことです。
この世の外へ』は、阪本順治監督の最新作で……ということはどうでもいいことです。とにかく俺はこの映画を観て、松岡俊介という役者に惚れてしまいました。もちろん、前から知ってはいたよ。出ている映画も観ているし。でも、こんなにいい役者になっていたなんてびっくり。端正な顔立ちが逆に、印象の薄さになってしまうような人だなあ、と思っていたんだけど、この映画ではとにかく存在に「重み」がある。それは「重厚」ということではなくて、「軽やかな重さ」とでもいうのか……。役者の魅力について書くのって難しいな。
映画が描くのは、戦後すぐのジャズメンたち。戦争中からジャズが好きで、「国」なんて関係ない(と、思いたい)。でもやっぱり巻き込まれちゃうんだよね。劇中のセリフでもあるんだけど、自由だとか平等なんてじつはどこにもない。でも、人にはそれを夢見る力があって、その力が人間をこの地上にすっくと立たせている。駄目になりそうになったときに、ふと見上げると空から終戦を知らせるビラが雪のように降ってきて、空を行く飛行機からはジャズが流れている……映画の冒頭、萩原聖人がフィリピンのジャングルで倒れている場面は、そんな場面だ。映画の後半で、萩原聖人自身がそのことについて語る。空から落ちてくる雪を見上げながら、「あのとき、飛行機から流れてくるジャズだけは信じられた」と。こういう言い方は誤解されるかも知れないけれど、ここでのジャズは「祈り」に近いのかも知れない。自由だとか平等だとかが実現されること望んで祈るのではなくて、祈るという行為自体が生きる力になるような、そんな「祈り」。それはあの重苦しい時代にあって、とても軽やかな行為だったのだと思う。
そうだ。だから、こう言えばいいのかな。松岡俊介は、時代劇であるこの映画の中で、21世紀の青年としてではなく、あの時代に生きていたであろう「軽薄な」青年そのものとして、スクリーンの中にたたずんでいるみたいに見える。どんなに重苦しい時代であったって、あんなふうに「軽薄な」青年はいただろうな、というリアリティを魅力として放っている。もうそれを確かめるためだけに、是非みんなに観て欲しい映画です。