思春期は止まらない(返歌のようなもの)

人は十代の頃のことを完全に忘れたり、捨て去ることはできないのではないかと思ってみたりする三十代の俺。
と書いてから、いや、そんなことないな、とも思うな。どうかな。「この気持ち、忘れちゃ駄目だ」と思ったことの多くを、いつのまにか思い出さなくなっているような気もする。
なるべくなら17歳のときの自分が納得するようなものを作りたいと思うのだが、それは端的に言えば、「17歳の俺、そんなに人生悪くもないべ」というメッセージ。「努力をしたって必ずしも報われるとは限らないのに、どうして無根拠に『頑張れ』なんて軽軽しく口にだせるのだろう」と斜にかまえていた17歳の俺。ああ、思春期なり。
あいつを前向きな気持ちにさせるのは、今でも至難のわざだと思う。自尊心ばかり強くって、だけどなんにもしていなかった高校生の俺は、人より多く映画を観たり、本を読んだり、そういうふうにすれば理想の自分に近づけるのではないかと思っていたが、実際にはオナニーばかりしていた。でも情報だけは仕入れていて、観てもいない『ピンクフラミンゴ』のことをしたり顔で語ってみせて知らないクラスメイトを馬鹿にしたりしてた。ああ、赤面。文化系童貞の必然として、ガロ、宝島、ナゴム寺山修司澁澤龍彦、ホラー映画、オールナイトニッポンタモリ家畜人ヤプー、西新宿のレコード屋……などに影響を受け、いつかロッキン・オンのインタビューを「商業主義的だから」という理由で断りたいと考えてみたり、「テレホンショッキング」に出たら絶対に「友だちの輪」はやりたいと考えてみたり、でもテレビは「タモリ倶楽部」だけにしようかと遠慮してみたり、少ない友人とオールナイトニッポンの新しいコーナーを提案しあってみたり、レストランの店頭にあったサンプルのカレーを全部食ってみたり、まだ建設途中の都庁舎の前の道に布団を敷いて寝てみたり、タイに留学が決まった友だちをからかって喧嘩してみたり、組んでもいないバンドの初アルバムのタイトルが思いつかずに苦悩してみたり、授業中に書いた漫画が青学の女子にうけてみたり(これホント)、20歳までに童貞だったらソープに行こうと決意してみたり……。恥ずかしいなぁ。
そんな日々に出会ったI先輩が、石神井公園で泳いだという話を聞いた頃から、自分もなにかを作らなければと思ったのだった。
さて、今の自分があのときのI先輩のような影響力を、17歳の童貞に発揮できるかと自問してみると、はなはだ疑問だ。ホントのところ、今でも毎日疑問だらけなのだから。「どうしてあの人じゃなくて、俺が生き残ってるんだ?」とかね。つまり思春期は終わってはいないということ。
虫博士をやる動機ってそれしかない。