死んだら驚けない

先日、クラップで雑談をしているとき、年齢の話になった。
そのときに、「誕生日って昔は『生まれてからの年数』だと疑ってなかったけど、だんだん『死ぬまでの年数』に感じられてくるよね」というような発言があった。
というか俺が言った。
まあ、極端な言い方であるのは承知しているが、もはやあらゆる可能性を信じられる年齢でもないということだ。


さて。
死ぬのは怖いですか?
俺は最近よくわからないが、その理由は、そんなことを考えることを忘れるぐらい、生きていることが楽しいと思えることが多いから。単純なことばかりだけど。酒がうまいことや、暑い日が続くことや、好きなことで食えるようになってきたこととか、友だちが増えたこととか。
でも、昔は楽しいことがあまりなかったので、死ぬことばかり考えていた。


あと50億年たったら、どうせ地球はなくなっちゃうもんな、とか。
意味ないね。


小学生のとき、『メギドの火』とか『バイオレンスジャック』を読んで、地割れが怖くなったことがあった。
あとなんの本かは忘れたけど、「地割れは閉まる」というのを読んでさらに怖くなった。
もしもいま地震が起きて、目の前のアスファルトがぱっくりと口を開いたら、俺はそこに落ちずにすむだろうか……などと考えると恐ろしくてしかたがなかった。
そこで、俺は学校の帰り道、不意にジャンプをするようになった。
周囲からすると不審な行動だろうが、本人はいたって真剣で、「いま地割れができたら」というシミュレーションをしていたのだ。迷っていたら落ちてしまうから、開ききるまえに向こうに渡るんだ!と。家に帰れないと、関東地獄平野に取り残されるからね。
アホだ。
ちなみに、そのころ俺が考えていた地割れというのは、当然幅が10メートル以上あるものだった。


死については、他にも色々考えていたけど、そのうちまた書こう。


そんなことをふと書こうと思ったのは、id:chattori氏のところで、とてもいいお話が紹介されていたから。
「絢爛たるなか卯」と題された小旅行記。氏が旅先でふと見たネガティブシンクタンクなか卯店員のつぶやきは、俺に少年の頃の純粋な恐怖を思いださせてくれた。
http://d.hatena.ne.jp/chattori/20040816