最近読んだ本
『トンデモ本? 違う、SFだ!』 | 『審判の日』ISBN:4048735438 |
『マッド・サイエンティスト』 | 『のだめカンタービレ』#10 ISBN:4063405052 |
『シガテラ』3 | 『生ける屍』 |
上にあげたのは、たまたま「世界のあり方」に関する本ばかりだった。山本弘は面白いSF小説を紹介することで、自らの読者を教育する。で、教育された俺は、初めて山本作品を手にして、「面白い!」と得をした気分になれた。「時分割の地獄」は近未来の物語かと思わせ、それがじつは壮大な「遠い未来から振り返った神話的な過去の瞬間」の物語であることが判明する。作中である世界が崩れる瞬間が描かれるが、読み終えたときには、俺もそんな錯覚を味わうことができた。さて、SFにはそんな瞬間を描く作品がたくさんあるけれど、読む前に読者は「さあ、驚かせてくれよ」という期待を抱いているから、ちょっとやそっとのギミックでは作家はバカにされてしまう。「畜生、なんとかあの憎むべき読者のやつらの裏をかいてやれないか」という歯ぎしりから生まれたのではないかと邪推するぐらい面白かったのは、「ノーク博士の謎の島」。見えている現実の世界が、実は面白いフィクションを作るための土台「でしかない」ことを描く。さすが「ピックマンのモデル」に感銘を受けて作家を志したロバート・ブロックらしい一篇だと思った。で、見知らぬ世界に飛び込んだのだめを通じて描かれるパリは、まるで東京の郊外にあるような身近さを感じさせる。エキゾチックではないパリは、のだめが大好きな「プリごろ太」によってもたらされる。で、一方身近であるはずの東京や千葉は、シガテラの主人公が自らの意志と無関係に巻き込まれてしまう友人たちの奇行によって異世界と触れ合ってしまう。『シガテラ』が『ヒミズ』と似ていながら違うのは、この「薄い膜一枚を隔てた非日常の手触りそのもの」を描こうとしているところじゃないのか。実際、主人公は非日常の側の人間たちによってふりまわされはするが、事件の現場には立ち会わない。それはでも、たまたま立ち会わなかった、という程度のことだ。オギボーの日常につきあう俺は、ふと背後が気になってしまう。で、そんなところになにげなく立っているのは、文字通りの「生ける屍」を素人ロボトミー手術で作ろうとしているQ・Pというイニシャルを持つありふれた顔つきのサイコパスの男かも知れない。ありふれた顔つきではあるが、自らの論理で完結してしまっている身勝手なこの男と俺とは、まったく用いる言葉が違うだろうから、対話は成立しないだろう。と、ここで再び山本弘の作中人物の言葉が思い出される。見かけの上で会話が成立しているときに、機械にも知性を認めてもいいのではないか? しかし、Q・Pには知性は感じられない。山本作品に登場する機械と違い、自らのうちに「良心」と呼ばれる他者を持っていないだろうから。