最近、なに観たっけ?

ヘルボーイ』は、新宿オデオンだろ。
『感染』『予言』は、新宿スカラだろ。
マインド・ゲーム』は、吉祥寺バウスシアターでしょ。
あ、『ジェリー』も観たな。これはライズXだな。


ヘルボーイ』ってコミックが原作なんでしょ? 全然知らないんだよね。大好きだな、これ。ラヴクラフトチックな怪物がウヨウヨ。魔界に通じる扉が開いたときに見えるのが、宇宙に漂う巨大な怪物(旧支配者?)が素敵。「視界に収まらないほどに巨大」という感じがすっごい出てた。『スペースバンパイア』みたいだ。
あと、あれだ。ラスプーチンの片腕だった女(なんて名前だったっけかな?)が、容赦なくハンマーで人を殴るところがイイ!


『感染』と『予言』、どっちが好きかと問われたら、まぁ、『予言』かな。走る車の外を、恐怖新聞が漂いながらついてくる場面があるんだけど、アホみたいでしょ? でも俺は怖かったんだ。っていうのはさ、恐怖新聞の設定が「宇宙のどこかにある、過去・未来のすべての出来事を記録するアカシックレコードの情報を伝えるもの」なんだよね。俺はこの世で一番「宇宙」が怖いんだよ。宇宙の深遠の知識が窓の外に漂っている、そう思いながら観てたら、ただの新聞がえらく怖く見えたよ。
『感染』はさ、一瞬、怪談映画のようになる瞬間があって、そこは好きだったな。患者を死なせながら、医療事故をひたかくしにしようとする病院に訪ねてくる、患者の母親と名乗る謎の老婆。深夜に訪れるその老婆の首から上は、鏡には映らなかった……。ああ、それだけで展開できるんじゃないか? でも、実際の映画は、登場人物のどいつもこいつも狂っていて、常識的に判断して動くキャラクターがいないから、イライラするんだよな。狂ったキャラクターばかりが右往左往する地獄のような病院が舞台だったら、そいつらが「怖がる」のは、中途半端な印象なんだよな。狂ってるなら狂ってるで、突っ走って惨殺しまくるぐらいの勢いが欲しい。観客に不快感を与えるなら、テッテ的にやって、途中退出者が出て、抗議運動が起きて、一部の頭のイカレタ観客たちだけがほくそえむことになる……それぐらいやろうよ。


マインド・ゲーム』は、そのタイトルどおり、閉塞した空間の中でいかに突っ走るかっていう映画だった。「想像力より高く飛べる鳥はいない」って言ったのは誰だっけ? ああ、寺山修司か。お姉ちゃんが見せるパフォーマンスなんかにも、そういう名前を出してしまいたくなる「アヴァンギャルド」な感じがあった。キャラクターたちが過ごした「過去」が何度かフラッシュバックされるけど、その風景が「高度成長期」なんだよな。『オトナ帝国』にも通じるね。だけど、『オトナ帝国』の方が、閉塞していない感じがあった。突き抜ける感じっていうのかな。それはやっぱり、『マインド・ゲーム』のキャラクターたちが、個人的な問題だけに関わっているからからじゃないかな。
ところで、俺は、ペチャパイのお姉ちゃんに萌えてしまった。真面目で不器用で、でもじつは現代アートが大好きなお姉ちゃんが、どうしようもできない状況(鯨の腹の中)で、一番最初に腹をくくってはっちゃける、というところに哀しいまでの屈託を感じるから。その腹のくくり方も、どこか「気ぃつかい」な感じがするのね。


『ジェリー』は文句なしにオススメ。笑ったなぁ。アートな『ビルとテッドの地獄旅行』! アートが自己満足にならない条件ってなんだろうなぁ、と考えたら、きっと労働力の有無なんだろうな。と、俺は思う。ものすごい大変な撮影方法と、大変なロケーションの中で、いかにスタッフとキャストがそれを乗り越えるために、一致した完成イメージを持てるか。これは大変な労働だと思う。じゃあ、その労働を支えるものってなんだろう? ユーモアじゃないかなぁ。
あと、これは「人間がいかにして幽霊となるか?」という問いにも答えている。特に、ラスト間際の明け方の砂漠をゆっくりと歩く二人の影! あそこ、どうやって撮影したんだろうなぁ。


ところで、ライズXって劇場は、とてもじゃないけどヒトにはオススメできないなぁ。二階にわかれてる劇場なんだけど、一階席だと思い切り顔をあげないとスクリーンが見えなくて、二階席だと必然的にスクリーンを見下ろすことになる。つまり、ベストな席があらかじめ存在しない劇場。がっくし。