やっと届いたよ、『ECDIARY』
アマゾンで注文してから、何週間待たされたことか。店頭で並んでいるのを見て、舌打ちしながら立ち読みしてたので、三分の一は既読という状況。アホか。
- 作者: ECD
- 出版社/メーカー: レディメイド・インターナショナル
- 発売日: 2004/09/19
- メディア: 単行本
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こんなことを考えた。人間は誰でも一生のうちに一人は人を殺さなければいけないと決められている。しかし、それは、誰でも嫌なので、国家及び軍隊に殺人を押しつけた。イラクで人が沢山殺されるのは僕たちが人殺しをさぼっているからだ。(中略)暴力を自分の手に取り戻し、自分の責任でそれを行使することなく一生を終えればよい。
ときとして、こんなふうな「空想」が力強く迫ってくる。「想像」やら「空想」をバカにしちゃいけないと思う。もしかしたらありえたかもしれない世界を「想像」することによって、生きている人間は「うしろめたさ」を感じるんじゃないか? 開き直りが「うしろめたさ」の隠蔽であるのは明らかだ。「本音主義」は、「だってこれが現実じゃん」と開き直ることで、「うしろめたさ」から目を背ける。
「メーワク」をかけあうことでこそ人はお互いをわかりあえるのだ。「メーワク」を通じてしか、本当の信頼関係は生まれない。そうやって、生まれた信頼関係がお互いの間に空間を造り出す。そこに初めて「自由」が生まれるのだ。今こそ「メーワク」を解放しろ!
「うしろめたさ」を直視して、その責任をすべて果たすことで、理想の社会が実現する? いや、そんなことはない。「理想主義」も「現状追認」も、どちらも静的な観念でしかない。どちらも自分以外の主張と出会ったときに、相手をテッテ的につぶそうと考える。不自由だ。
「理想の社会」なんてのはない。
「理想」はつねに運動している状態のことだ。
本当の「自由」や「正義」はそれを見極めることなんてできないぐらい、素早くダイナミックだ。きっと果てしなくめんどくさいし、「メーワク」だらけだろう。
と、いうわけで、今日もまた西荻の街に、俺は飲みに行くのでありました。