『カンフー・ハッスル』@吉祥寺バウスシアター3

nishiogikucho2005-01-23

幸せな時間を過ごすことが出来た。ずっとウットリしていた。ただただ画面で起きていることに集中して、他のことはなにもかも忘れることが出来た。
CGを使ったカンフー場面だって素敵だ。琴を鳴らして、恐らくつむじ風を起こして、襲ってくる刺客がいる。はじめは目に見えぬ刃が地面や木々を切り裂く。やがて服を切り、血がにじみ出る。反撃するカンフーの達人。すると、つむじ風の中に、刃が見える。悪鬼が見える。子どもだまし? まさか! 達人には、本当にそれが見えるんだ、という思想。映画というマジックを使わなかったら、凡人である俺らには見えない達人の視覚。
それを見せずに、じゃあ、なんで映画をやるんだ?と、映画の達人であるチャウ・シンチーは言っているみたいだ。
まるでジョン・カーペンター老師のよう。『光る眼』のクライマックス。超能力で心に侵入しようとする異星人の子どもたち。クリストファー・リーブは必死に抵抗する。心に壁を作る。そのとき、スクリーンには、レンガの壁が本当に映し出される。それが次第に崩れていくさま。ドキドキする。単純だ。そんな陳腐な表現……などと言ったら間違い。陳腐な表現を含んだことで瓦解するような、そんな柔な映画じゃないぜ、とカーペンターなら言うね。
きっと映画の達人、チャウ・シンチーもおんなじようなこと、言うんじゃないか?
幼少の頃にいじめられた少年と少女。一人は騙されて買った武術の教科書を信じるアホ。一人は口の聞けない少女。いじめっ子たちに囲まれた少女を、助けようとする少年。もちろんボコボコにされる。もはや正義を信じられなくなる少年。
やがて、少年は成長し、いまは悪の道を歩もうとする。その男の前に、路上でアイスクリームを売っている女が現れる。悲しそうな眼で、男を見つめる。再会。苦い。いい目にあいたいじゃないか。路上で惨めな暮らしをする負け犬にはなりたくないじゃないか。男は女に背を向ける。
男が空の彼方で菩薩に出会い、正義の心を取り戻した後、女に再会する。そのときの表現。陳腐だ。だが泣ける。これだ。単純で、力強い。心に響く。これを観たかった。
映画館を出て、また映画館へ来ようと思う。