『テヅカ イズ デッド』を読んだ

教育的な本だ。
なにが教育的かって……途中でどうしても『サル漫』が読みたくなって、近所の古本屋をぐるぐると歩き回ってしまい、結果、『漂流教室』を大人買いしてしまった……というぐらい教育的。


「キャラ」(プロトキャラクター」と「キャラクター」とをわける、という考え方は面白い。これって、映画で言ったら、「スター」というシステムのようなことなんじゃないか? 映画ごとに「スター」は別の「キャラクター」になる。観客は、物語の駆動力である「キャラクター」の魅力に惹かれながら、同時に個別の作品からは乖離した「スター」の魅力に酔いしれている。
では、「スター」になれる俳優とそうでない俳優との違いは? 「プロトスター」としての俳優の身体とはなにか?
……実は、『デヅカ イズ デッド』でひっかかったのは、ある絵柄が「キャラ」(プロトキャラクター)であったり、そうでない図像(挿絵的なもの)であったりする、その境界がどこにあるのか、いまいちピンとこなかったという点。
もう一度読み返してみよう。