黒沢清のアーリーデイズ@アテネ・フランセ文化センター

前回、中野武蔵野ホールで上映したときには、プロジェクターの光源が弱かったのか、ほとんど真っ暗だった部分が、今回のDVテレシネバージョンではよく見えたなぁ、という印象。
で、今回は意外な発見。というか、昨日『LOFT』を再見した直後だからなんだろうけど。『SCHOOL DAYS』と『LOFT』は奇妙な相似をなしている。『SCHOOL DAYS』の中盤、フィックスのキャメラが一組の男女を映し出す場面がある。8mmフィルムの解像度の悪さが、二人の表情を捉えきれていないが、二人は性交を始めようとしている。女は自ら服を脱いでいく。男は女の主導によって服を脱がされていく。しかし男はどうやらセックスにおいては主導権を握ろうとしているようにも見える。だが、女が積極的に身に着けた衣服をすべて脱ぎ去るのに対して、男がその真っ白なブリーフを「脱がされる」のはその場面の最終局面であり、そこでこの場面は唐突に終わる(唐突に、というのは、そこでこの場面が切断される積極的な理由が見当たらないから)。男の欲望のあり方(もそれほどはっきりとはわからないのだが)と、実際に画面で映し出されている事実とのギャップ。
『LOFT』では、やはり一組の男女が、それぞれの人生において重要だと思われてきたものをいかにして捨て去るか、が描かれる。恐らく、黒沢清は20年前の自作を意識的に模倣しようとしたのではないだろうが、『SCHOOL DAYS』におけるブリーフと同じような問題がここで繰り返される。豊川悦司は魂のブリーフをなかなか脱ぐことができない! 
だが、それを「作家性」と呼ぶのはやめよう。「映画」が、それを命じてしまったのだ。そして、2006年8月の時点で、それを証明してしまった「映画」というのは、一体いかなるものなのかと、俺は一人密かにおののいてしまったのだった。