『ぼくの好きな先生』

……ここで学んだ児童たちが、中学にあがってドロップアウトし、やがて北海道の高校に編入してヤンキー先生と出会う……のではないの?
美しい映画だった。ドキュメンタリーなんだけど、「え、セリフじゃないの?」というような子どもたちのつぶやきも描かれている。まるでキャメラなどその場にないかのようだ。
フランスの田舎の小学校を舞台にしたドキュメンタリー。「素晴らしい先生」と生徒を巡って出来事が描かれるけれど、映画の後半で先生が必ずしも「素晴らしい先生」ではないのではないか、と感じさせる描写(数の概念についてジョジョという子どもにしつこく食い下がる場面)があって、実はそこが一番面白かった。なんというか、実際にこの先生はいい先生なのだろうが、やがてキャメラの前でそんな自己像を意識して、それを演じるように次第に変化していく、そんな感じ。キャメラの存在を、子どもたちが次第に忘れていくのに大して、大人である先生は逆に意識するようになる。つまり……キャメラの存在に慣れてゆく。それは、キャメラの前でどうふるまえばどのように映るかがわかってくる、ということか。子どもたちは、キャメラの仕組みを知らないがゆえに、それをたんに異物としてとらえるだけで、「やがて観られるであろう自分」という自己像を現場でフィードバックしない。だから、子どもたちはキャメラの存在をいつしか忘却する。それに対して……。