『狂言サイボーグ』と中島敦短編集

先日、たまたまNHK野村萬斎にまつわるドキュメンタリーを目にする機会があった。主に、萬斎の一人息子が初舞台を踏むまでの修行を追ったものだったけれど、世間ではあれをどのように観たのだろう? 古典芸能を継ぐ家に生まれたものの、一種の宿命のような、悲壮な感じを受けたのだろうか? 物心もつかないうちから、その家に生まれたというだけの理由で修行を受けなくてはならないというのは、そのような家庭に生まれなかったぼくらの想像を超えている。でも、『狂言サイボーグ』を読むと、あるいはそれは自由への近道なのではないか、という思いも生じるのだった。
人は、なかなか本当の「師」に出会うことはない。求めようとして、得られるものではない。「師」とは、天により与えられた(ときとして過酷な)運命を、自在に生き抜く術を与えてくれる他者だ。その教えは、きっと受け取る弟子にとっては理不尽なものに違いない。なにしろ、他者の教えなのだから、弟子の側の論理を超えている。それゆえに「なぜ」と問うことは許されない。けれど、いつかその技を体得したときには、弟子は自らの運命の中で、自在に生きられる自分を見出すはずだ。それまで不自由そのものに思われた、修行やら人生やらが自由に充ちたものになる。他者に自らを引き渡すことによって、自由を獲得する。それが「師」と出会うことなんじゃないのか? ……いや、俺の妄想だけどね。そんなことを『狂言サイボーグ』を読みながら、つらつら思ったのでした。で、そうすると、実は生まれてすぐに「師」と出会うべく宿命づけられている伝統芸能の人々は、我々の想像に反して、きわめて自由な人々なのではないか。「師」を与えられず、いつどこで出会えばいいのかわからないぼくらこそ、実は不自由なのではないか……。
そういえば、深沢七郎正宗白鳥に「小説なんて好きなように書けばいいんだ」というようなことを言われて恐怖するエピソードが、深沢七郎のエッセイにあったけれど、いまならわかる気がする。それはつまり、言葉の森の中を自在に歩むことのできる術、あるいはそれを与えるべき「師」など、小説という世界には存在しない、ということだ。自由も不自由もない、混沌に迷うことしか残されていないのが小説だとしたら……それは恐怖に違いない。
萬斎が、しきりに「外部」に触れようとするのは、そうすることでいっそう自らに強いられる「型」を意識し、その結果としてより高度の「自在さ」を身につけようとするからではないのか。……なんてね。
そんなことを考えているときに、「天」と「個」との関係について書く中島敦の諸作品に触れ、中でも『李陵』には強い感銘を受けた。帝という形で具現化した「運命」に翻弄され、その中でいかに生きるかを問い続け、それぞれの答えに達する登場人物たち。そこには自由などありはしないかのように見える。例えば、司馬遷が畢生の仕事につくほかなくなったときのことは、次のように語られる。「一個の丈夫たる太史令司馬遷は天漢三年の春に死んだ、そして、その後に、彼の書残した史をつづける者は、知覚も意識もない一つの書写機械に過ぎぬ」。あるいは蘇武という男は、「如何に「やむをえない」と思われる事情を前にしても、断じて、自らにそれは「やむをえぬのだ」という考え方を許そうと」せず、ただひたすら自らに与えられた運命を甘受する。そのことに李陵という主人公は、冷や汗を禁じえない。異国の地で、誰に知られることもなく、死んでゆき、やがて忘れられるであろうことをこの男は恐れていないのか、と。
しかし、結局、自らのなすべきことを見出すことのできぬまま、異国の地で人知れず死を迎えなくてはならないのは、自らの力で運命に抗おうと努力し、そしてできるだけのことはしたのだから「やむをえない」ではないかとそれを受け容れてきた李陵一人である。
さて、自由はどこにあるのか?