『きみに読む物語』@吉祥寺バウスシアター3

老人性痴呆症ジーナ・ローランズに、記憶を取り戻させようと、ある若い恋人たちの出会いと別れの物語を語って聞かせるジェームズ・ガーナー
この枠組みから、すぐに観客はある期待を抱くことになる。これは、彼ら自身の若き日の物語なのだろう、と。素晴らしき日々の物語を聞かせることで、ジーナ・ローランズの記憶を甦らせる話なのだろう、と。
結末は見えている。じゃあ、どんなしかけがそこに仕組まれているのか?


俺は感動したね。
以下、ネタバレ。


ノア(ライアン・ゴズリング)とアリー(レイチェル・マクアダムス)、二人は身分違いの恋人同士だ。ノアは材木工場で働くブルーカラーで、アリーは資産家の娘だ。当然、二人の恋は、「ひと夏のあやまち」としか見なされない。アリーの両親は彼女をニューヨークの大学に行かせることで、強制的に二人を別れさせる。ノアは365通の手紙を送るけれど、それはアリーのもとに届けられることなく、アリーの母親によって隠されてしまう。なにも知らないアリーは、ノアは自分を忘れてしまったのだと思い込んで、新しい恋人を作る。ロンというその新しい恋人は、南部の資産家の息子で、アリーの両親にとっては申し分のない恋人だ。アリーとロンは婚約をする。
映画の必然として、その後、アリーとノアは再会する。


アリーはノアと再会して、隠されていた事実を知り、恋は再び燃え上がる。
そして、選択を迫られるアリー。ノアか、ロンか?
すると、アリーは泣きながらロンのもとへと戻る。
その直後、場面は、ジェームズ・ガーナーが物語を語っている現在へと変わり、彼の口から「めでたし、めでたし」という言葉が発せられる。


それを聞いたジーナ・ローランズが、「めでたしですって! それのどこが『めでたし』なのよ!」と怒り出す。
そして、ここでマジックが起きる。
「その結末は違う」とジーナ・ローランズが言い、「本当の結末はこうよ!」と彼女自身の記憶にある「本当の物語」が語られる。
つまり、ジーナ・ローランズは、この瞬間、記憶を取り戻す!


予想通りに、若い恋人たちは結ばれるけれど、それが「誰の口から語られるか」、そこにこの映画のしかけがあった。
「こうであって欲しい」と観客が願っていた物語、一つは、身分違いの恋人たちが結ばれること。そしてもう一つは、痴呆症のジーナ・ローランズにみずみずしい青春の思い出が甦ること。
その二つが、一瞬のうちに成就するあの瞬間、俺はなんだか目眩を感じてしまったね。


ミザリー』も、語り手と観客の関係を描く映画だった。あの映画では、読者であるキャシー・ベイツの期待が成就されるように、小説が書かれた。しかし、その期待を成就させることは、キャシー・ベイツの「病」そのものであって、彼女を変化させはしない。


きみに読む物語』では、単に受け手の期待に沿うような物語が語られるのではなく、受身でしかなかった観客が、主体的な語り手へと変化すること、それがある種の「再生」であることが描かれている。


平凡なラブストーリーであるのに感動的なのは、そういうマジックがあるからなんだよな。