俺が知ってる千葉

いまの若い人は知らないと思うけど、70年代の一時期、千葉は島だった。
きっかけは、もちろん「関東地獄地震」。この地震によって、千葉は本州から切り離された。
無論、俺も地震の頃はまだ赤ん坊だったから、親たちの話を聞いて知っているだけ。阿鼻叫喚の地獄絵図だったらしい。地上にはマグマが噴出し、すべての建物は倒壊し、地割れに落ちて死んだ人は数知れず、家族は分断された。
一度、茨城家族会を後ろ盾とする政治家が、「チバラキ大橋」を作ろうとしたらしい。でも実現しなかったのは、結局、茨城に金を落とすための計画だったことが明らかになったからなんだよね。この計画の余波が生み出したのが、MAXコーヒー。物資の乏しい当時の千葉の子どもたちに、少しでも甘いものを飲ませたい、そういう思いから生まれたMAXコーヒーが、少し前までチバラキでしか販売されていなかったのは、「あのときの計画が実現していたら、千葉は茨城の植民地になっていたはずなのに!」という茨城県民の怨嗟の念によるものであることは、意外に知られていない。
さて、千葉が無事に本州に戻ったのは、二人の偉人のたゆまぬ努力によるものだ。
一人は千葉の土建屋の丁稚から成り上がった、ワスラムキング*1
もう一人は、小説『千葉家のジャック』で有名な、バイオ・ワス・ジャック*2だ。


反目しあっていた二人がいかにして和解したか、無法な若者たち(モヒカン賊と呼ばれていた*3)との命を賭けた戦い、千葉を島のままにしておいたほうが国益にかなうと考えた日本国政府との闘争の日々、それらを乗り越えて、関東地獄地震の結果誕生した千葉新山を切り崩して、千葉と関東との間の海を埋め立てようとしたときの過酷な労働の実態……涙なくしては語れないね。
この連載の続きはこちらで。

*1:スラムキングとは無関係

*2:バイオレンスジャックとは無関係

*3:だから、今でも千葉の人はモヒカン族が嫌い