思い出すことなど

子どもの頃、「ジンマシン」のことを「ジン・マシーン」だと思って、密かにあこがれていた。大人になってバンドを組んだとき、「ジン・マシーン」という曲を作った。
そんな俺の弟は、『ああ、無常』のことを、『アーム・ジョー』だと思って、密かにあこがれていたらしい。その話を聞いて、俺は「アーム・ジョー」という曲を作った。「腕! 顎! アーム・ジョー!」とリフレインするだけの曲だ。
言葉の区切り方というのは、難しいもんだ。
クラゲの一種で、「カツオノエボシ」っていうのがいるんだけど、これ、「鰹の烏帽子」なんだよね。でも子どものときには、「カツオ・ノエボシ」だと思ってた。「ノエボシ」ってなんだろう?と疑問に思ったもんだ。でも、少しだけ、ご飯にかけたら美味そうな気がしない? 「お母さん、ご飯にかけるノエボシとって!」みたいな感じ。
似たような勘違いでは、「カマドウマ」。「竈馬」なんだよね。でも、いまでも、「カマドーマ」っていう感触。インドの神様でいそうじゃない? カマドーマ神の像が千葉島の奥地で発見された!とかね。インドって、ちょっと千葉っぽいよね。
千葉=インド説。
あのー、千葉では主食がカレーって本当ですか?
「ナマステ」って、「生捨て」っぽいよね。