キョンシーマジックについて(4)

その夜、宮子は自分が「とてもよろしくないこと」をしてしまったのではないか、と後悔の気持ちでいっぱいになりながら、鶴亀算の練習問題に取り組んでいた。ちなみに「とてもよろしくないこと」というのは、宮子の継母の口癖で、宮子がちょっとした粗相をするたびに、まとわりつくような口調でそう叱責するのだった。
確かに、男の子の名前に「芋子」というのはおかしな感じがする。でも、小野芋子はそのことでしょっちゅういじめられているし、それを宮子も何度も目撃してとても悲しい思いに駆られているではないか。宮子は芋子と二人きりのとき以外ではまるで意気地がなくって、喋れなくなってしまう。だから、芋子がいじめられているのを目撃しても、それを止めることができない。
父親の仕事(しかしその具体的な中身を父親はまったく教えてくれないのだが)の関係で、東京からわざわざ江戸川峡谷を越えてこの町に転校してきた宮子を、「ホンシュウモノ」などと罵ることなく受け入れてくれたのは芋子だけだったではないか。
それなのに。
算数が不得手な宮子は、ノートに意味もなく何匹もの鶴と亀の絵を描き、いつのまにかどんくさい二匹の亀が自分と芋子であるように思えてきて、自分たちもいつか鶴のように優雅に舞えるのだろうか、と考えたが、次の瞬間には、自分たちにそんな舞はふさわしくない、鶴の舞が心をかき乱すのであれば、それが目に入らぬように殺してしまえばいい、そんな思いに駆られるのだった。
宮子はノートを閉じた。
そんな恐ろしい考えにとらわれるのは、芋子が昼間言っていた「キョンシーマジック」のせいだ。
でも芋子は言っていた。
「誰にも言っては駄目だよ」
「お父さんにも?」
「お父さんにも」
「……コトリにも?」
「コトリ? ああ、想像の中でおしゃべりするあの大きなインコのこと?」
「……」
「なんだよ、別にバカにしたわけじゃないのに」
「だって」
「駄目だからね。日記に書いても駄目だ。だって、これは大人たちが心に思っても絶対に実行できないことなんだから」
「ホンシュウへのフクシュウ……?」
「ああ……宮子はもともとホンシュウの人か」
「でも、芋子が言うならきっと間違ってないよ」
宮子が、自分から目を逸らせた芋子の背中にそう言うと、芋子は振り返ってとても冷たい笑顔でこう言った。
「宮子ちゃん、もう六年生なんだから、自分の頭で考えた意見を言わないと駄目だよ」
「……」
「だって、『キョンシーマジック』が成功したら、宮子ちゃんの生まれた町もなくなっちゃうかもしれないんだよ」
宮子はそれきり黙ってしまった。
自分の頭で考えた意見……。
私には、そんなものはあるのだろうか。親に言われるままに勉強をし、言われるままに以前の学校の友達とも別れて、父親の仕事がなんであるかという疑問すら抱かない、そんな自分に「意見」なんて……。
「宮子は友達だから、最初に教えてあげたんだからね」
芋子はそう言って、自分が住む海沿いのゴミゴミとした地区へと走り去ってしまった。
「とてもよろしくないこと」が始まろうとしている。
自分はその計画に、自分の頭で考えて参加するのだろうか。
それとも、「キョンシーマジック」を止めるために、唯一の友達と敵対することになるのだろうか。
夜はまだまだ明けようとはしなかった。
(つづく)