キョンシーマジックについて(5)

道徳の授業で、担任の深町先生が『バイオレンスジャック』というタイトルの小冊子を配った。
「ここには、荒廃した千葉島で生きるために必要なことが書かれている。ホンシュウ人の偏見が多く含まれているが……まあ、それはいいとしよう」
そのあと、先生は熱っぽく、身振り手振りを交えながら『バイオレンスジャック』がいかに素晴らしいかを説明しはじめた。
その様子はちょっと変だった。
宮子は「ああ、先生、酔っぱらってるんだ」と思い、憂鬱な気持ちになった。ときどき、父が仕事の取引先の人たちを家に招いて宴会をするときがある。宮子はそんなとき、必ず自分の部屋に逃げ込んで、外に出ようとしない。いつもは穏和な父の様子が一変するからだ。
だが、深町先生は酔っぱらっているわけではなかった。少しばかり違法な(とは言っても、ここ千葉島ではすでに法の概念など無効になっていたが)薬を摂取しているだけだった。その薬は極度の興奮状態を生み出すのと同時に、一時的な筋肉の強化という効果ももたらす。
先生はついには教壇の机を持ち上げて振り回し始めた。
「あぶない」
宮子だけではなかった。クラスの何人かの生徒が思わずそう口走った。
次の瞬間。
「グシャ」
一番前に座っていた芋子の頭から血が噴き出した。


保健室の八重子先生は、「軽い脳挫傷ね」と言って笑っていたが、宮子は「笑い事なんかじゃない!」と抗議したかった。「ここの学校の先生はみんな狂ってます!」と叫びたかった。でも、やっぱり言えなかった。「私には医療の知識なんてないし……教師の資格をとれるような学があるわけでもない」。いつになったら、聞く人みんなが「ほう」とうなってしまうような知識を持てるようになるのだろう。
数時間後、ようやく意識の戻った芋子に、宮子は自分のそんな思いを伝えてみた。
「バカだな、宮子は」
芋子は痛む傷口を鏡で見ながら、笑った。
「わかってるよ。だから、図書館に行ってたくさん本を読んでるんだよ」
宮子は口をとがらせる。
「はは! またインコみたいな顔してる」
「そんなことないもん」
「宮子、図書館の本、全部読めば頭よくなると思ってるのか?」
「……」
「それに、知識は人を黙らせるためにあるんじゃないよ」
「……じゃあ、なんのためにあるの」
「知識は、自分の欲望を達成するためにあるんだ」
また、芋子がなにか怖いことを言い出そうとしている。
芋子は口を開きかけて、それから黙ってノートに切れ端に絵を描き始めた。
「ほら、キョンシーマジック」

宮子には、本当にこの図のようなことが可能なのかどうかわからなかった。
だが、なにもわかっていないのは、宮子だけではなかった。
キョンシーマジックを計画する芋子自身にも、それがやがて引き起こすであろう悲劇を予見する力はなかった。
(つづく)